野茂英雄さん(1968年〜)
高校初先発の県予選で完全試合。プロで4年連続最多勝・奪三振王。大リーグに渡ってオールスターの先発投手に。新人王、奪三振王2回、ノーヒットノーラン2回。日米通算201勝、奪三振3122。
社会人「NOMO ベースボールクラブ」と米独立リーグの「エルマエラ」のオーナー。寡黙で心の強いすばらしい人。
大阪市港区出身。成城工高時代、授業の始まる前に学校の周囲を7〜8周ランニングしてから、2段重ねの朝食の弁当を食べるのが日課だったらしい。昼食ももちろん2段重ね弁当。
新日本製鉄堺を経てドラフト1位で近鉄バファローズ入団。抜群の成績を続けるも怪我、鈴木監督の方針とも合わず、周囲の大反対の中、夢を追いかけてメジャーに挑戦。
95年にドジャーズ入団。日本人メジャーリーガーのパイオニアとなった。
選手会ストによる人気下降気味だったメジャーに、トルネード投法と大きなフォークで新風をもたらした。08年7月現役引退発表。
尊敬しています。間違いなく、オトコ、サムライです。
- 投げるしかできなかったですから。小学生からずっと。守るのも下手だし、野球以外勉強もできませんし、社会人になってもチームの雑用が出来なかったり、着替えるのも遅かったり...
- 登板が決まると、頭の中で相手打者の打ち取り方をシミュレーションするくせがついています。
- アメリカの野球はマイナー時代から投げたボールの「意図」について徹底したディスカッションが行われます。決め球だけでなく一球一球、「意図」を説明しなければならない。説明できないピッチャーは、まずメジャーに行けません。
- 僕はあまりつきつめてものを考えないんです。考えて変わるならば考えてもいいけれど、どうにもならないことは考えないことにしているんです。そうでないとやっていけませんから。
- なれるとかなれないとか、考えていたって一歩も前には進めません。やるかやらないか、それしかないのですから。
- メジャー挑戦という夢に対して、ただの絵空事だなんて否定的に思ったことは一度もありません。メジャーリーガーになるんだという強い意志さえ持っていれば、いつかはきっと叶う夢だと信じてやってきました。
- 彼らは超人的なヒーローではなく、誰よりも努力を重ねる一人の人間です。本当によく練習していました。彼らの汗や表情からは「メジャーリーガーとは常に上のレベルを目指す、妥協することのない人種なのだ」というプライドが見て取れました。
- 武豊さんとかサッカーのカズさんやラモスさんとか、一流の人ほど「ああ、いい人だな。」と思わせてくれるんです。人間味を感じさせる「何か」を持っているんです。
- オマリー会長
「黙ってベンチからグラウンドを見つめる、あの真剣なまなざしが好きなんだ。彼こそは野球選手の模範であり、我々が考え、尊敬する本当の意味での日本人なんだよ。」
- ボンズ
「名誉も金も関係なく、日本の野球界にきっぱり見切りをつけ、自分の可能性を試すために一人で大リーグへ乗り込んできたノモの男っぷりに脱帽する。」
- ドジャース石井さん
「野茂さんは凄い、野茂さんがいたから僕らが今あるんだ。」
「nomo baseball club」へ
野茂英雄さんの本
サチェル・ペイジさん(?1906〜82年)
史上最速最高のピッチャー。人種差別が激しかった時代にニグロリーグで大活躍し、
42才で史上2人目の黒人メジャーリーガーとなった。
アラバマ州生まれ。父親を早く無くし、11人兄弟の貧困生活の中、鉄道の駅で客の手荷物を運び、
「肩掛けかばん」を意味する「サチェル」という愛称が付けられた。
万引で捕まり施設入り。そこで野球と読み書きを覚え、17才で黒人のセミプロ「モービル・タイガース」に入団。
1年目に30勝1敗。42才までニグロリーグで活躍し、実に2500試合以上に登板。2000勝以上したと伝えられる。
ニグロリーグの実力はメジャーとのオールスター親善試合延べ432回での勝率6割以上で証明されている。
ペイジも30年の対大リーグオールスター戦で22奪三振の完封をし、記録の残る35年はリーグ公式戦が43勝2敗、対メジャー戦も3戦3勝。
火の玉投手と言われたボブ・フェラーは全盛期のペイジと対戦し、
「ペイジの球の速さに比べたら、自分のはチェンジ・アップのようだ」と語っている。
歌と踊りが得意で、ファンサービスにも長け、勝ち試合の9回にわざとフォアボールで満塁にし、
野手全員を引き上げさせた上で後続打者を三振にとってみせたりもした。
ジャッキーロビンソンに次ぐ2人目の黒人メジャーリーガー、史上最年長新人投手として、インディアンスに途中入団。
シーズン後半だけで6勝1敗10セーブ、防御率2.48と活躍し、チームを28年ぶりの優勝に導いた。
が、人種差別は続いており、ワールドシリーズでは敗戦処理にしか使ってもらえず、メジャー在籍6年で28勝31敗。
人種差別はあったけど、素晴らしいスポーツマンがいました。
- 私は今まで仕事を持ったことがない。いつも野球をしていた。
I ain't ever had a job. I just always played baseball.
- 振り返るな。何かに囚われるから。(前向きにやれ)
Don't look back, something might be gaining on you.
- 年なんか、意識しなければ、いくつだっていいのさ。
How old would you be if you didn't know how old you are.
- 年は気持ちの問題で、気にしなければどうってことはない。
Age is a case of mind over matter. If you don't mind, it don't matter.
- 打者のスイングのヒザの動きで、ウイークポイントがわかるんだ。あとはそこにボールを投げるだけさ。
When a batter swings and I see his knees move,
I can tell just what his weaknesses are then I just put the ball where I know he can't hit it.
- 野球は、私を二流の市民から二流の偉人に変えてくれた。
The only change is that baseball has turned Paige from a second class citizen to a second class immortal.
- 働け。金など必要ないかのように。
愛せ。一度も傷ついたことがないように。
踊れ。誰も観ていないように(自由に)。
歌え。誰も聴いていないように(自由に)。
生きろ。地上の天国にいるように。
Work like you don't need the money.
Love like you've never been hurt.
Dance like no-one's watching.
Sing like no-one's listening.
Live like it's Heaven on Earth.
※ペイジと同時代のニグロリーグを代表する打者、ジョシュ・ギブソンは
19才から急逝した35才までの17年間で平均打率が.391。当時の飛ばないボールでホームランも962本。シーズン記録が89本。
ヤンキースタジアムで、ベーブルースも打てなかったセンター場外ホームランを打ったただ一人の男。
「ニグロリーグ研究」へ
サチェル・ペイジさんの本
イチローさん(シアトル・マリナーズ。1973年〜)
84年振りのメジャー記録262安打達成。走攻守揃った日本の誇り、イチロー。
選手同士の匿名投票で選ばれる 「プレーヤーズ・チョイス・アワード」でも、ボンズと共にリーグ優秀選手に選ばれました。
本名は鈴木一朗。愛知県豊山町出身。3才の時に父の宣之さんに赤い革の本物のグローブとボールをもらって野球人生がスタート。
父親と一日も欠かさずにトレーニングを続け、少年野球チームに入団。5、6年生主体のチームの中で6才からレギュラー。
愛工大名電野球部に入り、洗濯と練習のために毎朝3時起きを続ける。2年の時、交通事故にあい、ピッチャーを断念。
ドラフト4位でオリックス入団。すぐに366で2軍の首位打者、2年目はハワイウインターリーグのベストナイン。
この間、イチローのしなやかなバッティングフォームは山内1軍打撃コーチ、土井監督と合わなかったが、2軍河村コーチと共に進化し、1軍新井コーチの理解も得た。
3年目に仰木監督の下でレギュラーを獲得し、210安打を達成。385で首位打者とMVP、以後7年連続首位打者、3年連続MVP。
95年は淡路大震災の神戸を勇気付けるリーグ優勝、首位打者、打点王、盗塁王。96年の日米野球で活躍し、メジャー参戦が目標になる。
99年マリナーズキャンプ参加、4月11日の西武戦で打撃の大きな確信をつかむ。01年メジャーのマリナーズに移籍し、首位打者、盗塁王、ゴールドグラブ賞、新人王、MVP。
06年第一回WBCで日本チームをリードして優勝。その熱い言動で、それまでのクールなイメージを変えた。
偏食で独身時代は焼肉・寿司・ラーメンライス・酢豚セットの繰り返し、今も毎朝カレーライスらしい。
自分に厳しいイチローはマスコミにも厳しい。そのストイックさに好嫌はあったが、WBCでみんながファンに。
- 今、自分にできること。頑張ればできそうなこと。そういうことを積み重ねていかないと、遠くの大きな目標は近づいてこない。
- 完璧にはなれない。それはわかっているけど、少しでも完璧に近づきたい。その過程で、何か新しいものが発見できたらうれしいですね。
- 第三者の評価を意識した生き方はしたくない。自分が納得した生き方をしたい。自分を惑わされたくないんです。
- 毎年変わるかもしれないコーチに自分を合わせていたら、野球なんて長い間出来やしないということです。
流行の洋服やブランドのバッグをかわるがわる持つ人もいるけど、僕は自分の好きなスタイルを失いたくない。
- 厳しさを失ったら、落ちるところまで落ちますよ。
- 自分を出し切ることは厳しいですよ。苦しくて苦しくて、くじけそうになる。でも、それをやめてしまったら、終わりです。
- 努力せずに何かできるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうじゃない。
努力した結果、何かができるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうだと思う。
人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです。
- 壁と言うのは、できる人にしかやってこない。超えられる可能性がある人にしかやってこない。だから、壁がある時はチャンスだと思っている。
- 長く続く強い発見は、凡打をして、その凡打の理由がわかったときなんです。
- (打率4割は)夢ではない。なぜなら可能性があるからです。夢がだんだん近づいてくると目標に変わるんです。考える余地は探せばいくらでもある。
- 野球がうまくなりたいのなら、いい道具を持て、グラブを磨け、宿題をちゃんとやれ。
- (WBC優勝後) 野球人生で最大の屈辱を味わって、最低の酒を飲みました。でも最後には最高の酒を飲めました。こんな経験をさせていただいたことに感謝しています。
- 野球をやってきて、これだけチームメートと同じ気持ちになり、1つの目標に進んだことがなかった。本当にいい仲間と巡りあえた。もう、やばいッス。本当に感謝しています。
- 日本選手の精神とか、頭の良さとかを感じた。かなうならば、このチームで1シーズン、メジャーでやってみたい。素晴らしいチームだった。
- 世界のホームラン記録を持っておられる偉大な王監督に「バッティングが簡単だと思ったことがありますか」とお伺いしました。その時、監督からは「そんな時期は全くなかった」と言われて、すごく勇気づけられました。
「イチロー51」へ イチローさんの本
明石家さんまさんの座右の銘?
簡潔にして人生の極致。これを超える言葉はちょっと見当たらないかも
スゴイ言葉です。すっごい! さんまさんのお子さん「いまる」という名前もこの言葉から取ったらしいです。
「さんまのまんま」へ
ヨーダ師(ジェダイマスター・スターウォーズ)
その高い精神性は東洋哲学や武芸の最高師範のよう。大阪芸大の依田教授がモデルという説もありました。
小さいのに、めちゃくちゃ強いもんね。
ルーク・スカイウォ−カーに
- No! Try not. Do. Or do not.There is no try.
やってみる、ではない。やるのだ。試しなどいらん。
- No! No different! Only different in your mind.
何も違いなどない。違うと思うのはお前の心だ。
ルークの父アナキン(ダースベイダー)に
- Fear is the path to the dark side...fear leads to anger...anger leads to hate...hate leads to suffering.
悲しみは怒りを生み、怒りは憎しみを生み、憎しみは苦悩を生む。
いろいろな時に
- May the Force be with you
フォース(力)と共にあらんことを
オビ・ワンがルークに
- Stretch out with your feelings. you see, you can do it.
感覚を研ぎ澄ませ。ルーク。フォースの力を信じれば何だってできる。
「スターウォーズジャパン」へ スターウォーズのDVD
宮崎駿さん(1941年〜)
ナウシカ、トトロ、千と千尋の神隠し、など企画監督。スタジオジブリ運営
東京文京区出身。父は航空部品会社役員で、戦時下もあまり不自由のない環境に育つ。
手塚治虫氏の影響で、児童文学・マンガ家を志す。学習院大政経部卒業後、東映動画入社。
労組書記長として組合活動を続けながら、高畑勲、大塚康生らと「太陽の王子ホルスの大冒険」を製作。
「未来少年コナン」「ルパン三世カリオストロの城」を監督。日米合作「ニモ」を手がけながらを徳間書店アニメージュに「風の谷のナウシカ」連載。
映画版「風の谷のナウシカ」が大ヒット。徳間書店の協力でスタジオジブリ創設。
87年より「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」、自分の夢を描いた92年「紅の豚」。
01年「千と千尋の神隠し」で興収304億円の日本映画記録、02年ベルリン映画祭金熊賞、03年米アカデミー長編アニメーション賞受賞。
「ハウルの動く城」で04年ベネチア映画祭オゼッラ賞、05年ベネチア映画祭金獅子賞受賞。
伝説では元旦以外は朝9時出勤で朝4時帰宅。お弁当を2つ持参。1食15分で、あとはひたすら仕事らしい。
- 子どもを楽しませたいという気持ちですね。
ただそれだけなんです。楽しませる仕事なら何でも良いんですよ。
それに別に大勢の人を楽しませなくてもいいんです。
知っている5、6人の子供が楽しんでくれれば自分も満足できる。
そこが一番原点なんです。
- 子供時代というのは、大人のためにあるんじゃなくて、子供時代のためにある。
子供の時代にしか味わえないことを味わうためにあるんだと思う。
子供時代の5分の体験というのは、大人の1年の体験より勝るんですよ。
- 僕はチャップリンの映画の一番好きなのは入っていくうちに
何となくいつの間にか階段を上っちゃうんですよ。
何かこう妙に清められた気持ちになったりね。
何か厳粛な気持ちになったりね。するでしょう?
あれが僕はエンターテイメントの理想じゃないかと思うんです。
- 「ナウシカ」なんていうこんがらがった作品を作り始めたのは、
時代がこんがらがって来て、その結果なんだとぼくは思ってるんですけどね。
「自然は大切です」とか、「宇宙船地球号」とか、そういう甘い言葉で括れるほど単純な問題ではないんです。
人間というものの存在の本質の中に、どこかで自分たち以外の生物を虐殺したり、生け贄にしたり、
勝手に色々作り変えたりしながら、それが文化であったり文明であったりするわけです。
そうして、人間というものが今日在るわけです。
そのやり方についての反省はあったとしても、人間の存在そのものを否定するのかどうか。
- 電気を使う暮らしとか、病気を克服しようとか、貧乏を無くそうとか、不条理な死から解放されたいとか
そういう、ありとあらゆる人間のして来たこと、いいことだと思ってやって来たことが、
実は自然というものを人間のために利用する、ということに尽きるわけです。
だから、悪い奴が悪いことをやって来たからこうなったわけじゃないんです。
- 自然の問題というのは、簡単に残せばいいんだとか、樹を植えればいいんだとか、
それは大事なことで、日常的にやらなきゃいけないことですけれども、実際にはバランスを取るしかないんですね。
他の生物の犠牲の上に人間が存在しなければならないという、この問題をどういう風につかまえるんだろうと。
そこまで考えないと。そういう恐ろしい罠が「自然と人間」というテーマの中にはあるんですよ。
高橋尚子さん(Qちゃん 1972年〜)
00年シドニーオリンピック優勝、国民栄誉賞、01年ベルリンマラソンで女性初めての2時間20分切り、
02年ベルリンで脅威のマラソン6連勝。05東京マラソンで右ふくらはぎなど3か所を部分断裂しながら復活優勝。
ゴール後の言葉はファン、関係者、チームQ、小出監督らへの感謝の言葉ばかりだった。
05年6月から小出監督の元を離れ、チームQ結成。前に有森を担当していた西村孔トレーナー、2時間12分台の記録を持つ練習パートナー藤井博之
積水時代の後輩である佐藤直子調理師、安野仁マネージャーの4人。
大阪学院大卒、〜95リクルート、〜97積水、〜03佐倉アスリートクラブ、ファイテン所属(年2億4年契約)
- 暗闇の中でも、夢を持つことで、
ホントに1日1日を充実した時間を過ごすことが出来ました。
なので、陸上に関係なく、いま暗闇にいる人や悩んでいる人、
ほんとに1日だけの目標でも3年後の目標でも何でも目標を持つことで、
すごく一歩一歩1日が充実すると思います。
- 夢をあきらめないでやれば必ず報われます。
- どうか夢を持って、一日を過ごして欲しいと思います。
そして、小学校中学校の子は勿論なんですけれども、
30代、そして中高年の皆さん方も、24時間という時間は
皆さん本当に平等に与えられたチャンスの時間です。
もう二度と来ないこの一日の時間を精一杯、
そして充実した楽しい日にしてください。
今日は皆さんのおかげで私はとてもいい日になりました。
- 悪いことはたくさんありました。オセロゲームのように黒がすべて白に変わりました。
- ほんとに2年間走ることが出来なかったんですけど、
これだけ多くのみなさんに支えられてほんとにここに帰ってきました。
またここから時間が進みそうです。ありがとうございました。
今この会場を見ても、すごい人の応援、そして切れることなく
沿道にも42.195キロのみなさんの声援が私の背中を押してくれました。
一度は辞めようと思った陸上ですが。
ほんとにここに帰ってきて良かったなと心から思えるほど楽しい42キロでした。
- ここに立って、小出監督の偉大さもすごく感じますし、
そして6月から私と一緒にやってくれたチームQのみんなに出会えたことは、
わたしの人生最大の宝物だと思います。チームQ最高です。どうもありがとう。
《シドニーオリンピック優勝直後》
- 声援がすごく大きく、皆さんの応援に背中を押されて走りぬくことができました。42キロとは思えないほど短く感じました。楽しい42キロでした。ありがとうございました。
- 今、この時代に生きている証をしっかり残しておきたい。その意味でも監督に出会えて本当に良かったと思います。
《高橋さんの好きな言葉》
- 何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ、やがて大きな花が咲く。
- 疾風知勁草(激しい風が吹いて、初めて強い草が分かるということ)
- 丸い月も一夜だけ(輝かしい栄光もひとときに過ぎないということ)
- 食べ放題
- 夢に向かって
マーチン・ルーサー・キング・ジュニアさん(1929〜68年)
アメリカの黒人差別の撤廃をめざす公民権運動指導者。プロテスタントの牧師。
ノーベル平和賞を受けるも、ベトナム反戦で政府などと対立し、39才で暗殺される。
- 米南部のジョージア州アトランタに
プロテスタントのバプテスト教会牧師の長男として生まれる。
裕福な環境に育ち、頭脳明晰で高校にも飛び級で入学、
高校も1年でやめ、黒人のモアハウス大へ。
卒業後、クローザー神学校に入学し、トップ卒業。
ボストン大、ハーバード大でも神学と哲学を学ぶ。
1947年牧師に任職。1954年アラバマ州の州都モントゴメリー市の
州議事堂前にあるバプテスト教会の牧師に就任。
- ※1863年リンカーンによる奴隷解放宣言が出されたが、
南部ではそれを期に人種差別法がいくつも作られ、
交通機関、レストラン、トイレ、学校などいたるところで黒人差別が行われた。
選挙権も平等にあったが、黒人を締め出す読み書きテストがおこなわれ、
実際はほとんど投票できなかった。
- ※南北戦争時の対立も残り、ウォレス州知事は白人至上主義結社KKK(クークラックスクラン)や
保守層の支持を受け、「人種分離政策は永遠に続く」と宣言した。
- ※KKKは白い三角帽の覆面と白いガウンをまとい、深夜、黒人をリンチし、殺害した。
- 55年、ボストン大で神学博士号取得。
- 55年、バスの席を譲ることを拒否した黒人女性が逮捕されたことから、
黒人のバスボイコット運動がスタート。
381日続き、キング牧師は家を爆破され、30回も逮捕された。
- ※55年12月1日、仕事帰りの黒人女性ローザ・パークスは
バスの黒人席に座っていたが、満員で座れない白人が出、
運転手が黒人は黒人用座席を空けて後部に移動と命じた。
さらに混みだし、運転手は再度黒人をぎゅうぎゅう詰め状態の後部へ移動を命じる。
それまでも差別待遇に不満を持っていたパークスは移動せずに通報されて逮捕。
当時、逮捕や暴行を受けた黒人は少なくなかった。
黒人の長老、牧師、団体代表者などが集まり、
裁判の日のバスボイコットを決議。
運動の代表には着任したてで、しがらみが無い27才のキングが推された。
至急、17,000枚のビラがまかれ
黒人たちは歩いたり、寄り合いの車で通勤し、
客の3/4が黒人だったバスは空っぽで走った。
裁判は罰金刑となったが、連邦最高裁まで控訴することにし、
ボイコットも無期限継続を決めた
その夜の教会の集会に1万人近くが集まり、
賛美歌と祈りの後、指導者ニクソンが
「この運動が終わるまでには死人が出るかも知れない。
それは私かも知れない、あなたかも知れない。
私が死ぬのなら犬死にだけはしたくない」と発言。
続いて、代表のキング牧師が
「我々は信心深いクリスチャンとして行動する。
KKKのようにバス停で十字架を燃やしたり、
頭巾をかぶった黒人が非協力的な白人を家から引きずり出したりはしない。
私たちは合法的に抗議する。私たちは間違っていない。
私たちが間違っているなら、最高裁が間違っている。
私たちが間違っているなら、憲法が間違っている。
私たちが間違っているなら、全能の神が間違っている」と話し、皆を感動させた。
市や警察はあらゆる嫌がらせをし、
キングの家には爆弾が投げこまれ、不当逮捕が繰り返された。
- 56年、連邦最高裁判所でモンゴメリーの人種差別規則が違憲とされ、廃止と決まった。
これ以降、キングは牧師をしながら、全米各地で公民権運動を指導する。
- 57年、モンゴメリーの彼の教会や住居が爆破された。
ネール首相の招きでインドを訪問、ガンジーの非暴力抵抗主義を学ぶ。
- ※57年、アーカンソー州リトルロックで白人名門高に9人の成績優秀な黒人の入学が許可されたが、
州知事が黒人生徒を追い返すため州警察を動員、白人の暴動も発生し、
連邦軍が鎮圧する事件が起きた。
- 60年、南部キリスト教指導者協議会を結成し、議長就任。
非暴力の人種差別撤廃運動を推進。
反対派や警察から何度も暴行を受け、投獄された。
「神様、私はモンゴメリーでの自由のための抗議のために誰も死なないことを望みます。
確かに、私は死にたくありません。しかし、誰かが死ななければならない場合は、死を拒みません。」
- 60年、投獄され病に冒されていたキングを大統領候補のケネディが釈放、
支持を表明したケネディは黒人票も獲得して当選。
- ※当時の南部は州政府、警察、裁判所、新聞社など全てが強い差別主義だった。
- ※63年、ケネディが公民権運動推進の演説をした夜、
全国黒人地位向上協会ミシシッピ州支部長エヴァーズが暗殺された。
犯人はすぐ逮捕されたが、裁判の陪審員は全員白人で、知事も犯人を英雄扱いをし、
実質無罪となったが、30年後の94年、3回目の裁判で終身刑となった。
- 63年、白人4万人を含む25万人の公民権運動支持者による
リンカーン奴隷解放令100年記念のワシントン大行進が行われ、
行進後の集会で、マヘリアジャクソンの黒人霊歌の後、
キング牧師が最後の弁士として登場、
リンカーン記念像を背に、演説(I Have a Dream)し、
聴衆に深い感銘と熱狂的興奮を巻き起こした。
- ※63年アラバマ州バーミンガムで教会が爆破され、黒人少女4人が死亡。
同日、他の場所でも黒人青年が一人は警官に、一人は暴徒に殺される。
証拠が隠蔽されたが、KKKの主犯が77年に終身刑となり、
逃げていた共犯者も02年有罪となった。
- ※ケネディ大統領はベトナム撤退方針発表後に、
石油業界やCIA、軍の極右派などにより暗殺される。
- ※64年、ミシシッピ州で公民権運動活動家3人が
KKKの保安官と保安官補に逮捕され、暗殺される。
裁判は一審、二審とも無罪だたが、
連邦裁判は18人のうち7人有罪、8人無罪、3人結論出ずという判決を下した。
2人に10年の刑、他の5人は5〜3年の刑。ミシシッピで白人が黒人を殺し初めて有罪になった。
この事件を描いたのが88年ジーンハックマン主演の映画「ミシシッピバーニング」
- ※この頃から各地で黒人暴動も発生し、ブラックパワーやブラックモスリムにつながっていく。
一部の黒人は穏健なキング牧師でなく、過激なマルコムXを支持し、
カシアスクレイもモハメドアリと名前を変えて参加したが、
65年マルコムXは暗殺される。
- 64年、人種・宗教・性・出身国などによる差別を禁止した公民権法が成立。
キングはノーベル平和賞を受賞。
- ※65年、投票権法も成立し、読み書き試験や人頭税が廃止、
選挙監視の連邦査察官が設定された。
その後、南部の黒人選挙登録率は29%から69年には66%まで上昇した。
- ※ヴェトナム戦争が本格化し、反戦運動も盛んになっていく。
- 66年、キングはこの頃から黒人解放だけでなく、
戦争・貧困も悪とし、ベトナム反戦運動も行うが、
ジョンソン大統領やマスコミ(Wポスト、NYタイムス、NW、ライフ等)、
帰還兵や様々な団体がキングを批判しはじめ、
政府や軍需企業などから狙われはじめる。
「人種差別は、単にアメリカだけの現象ではない。
どこの国をながめても、我々は有色人種の汗と苦難の上に、
白人たちが帝国を築いているのをみる」
- 68年、テネシー州メンフィスで暗殺される。
その2ケ月後、差別撤廃を主張していたロバート・ケネディ上院議員も暗殺。
- キング牧師の墓にはI Have A Dreamの最後が彫られている。
"Free at last! free at last!
Thank God Almighty, we are free at last!"
- 毎年1月第3月曜日がMartin Luther King, Jr. Dayとして祝日になっている。
- ※クリントン夫妻は共にキングを尊敬し、
ヒラリーは15歳のときキングと握手した経験があり、
ビルはI Have a Dreamを暗誦できる。
《アメリカで最も有名な演説の一つ「I Have A Dream」の有名な後半部分》
- 私は今日申し上げたい。友よ、
どんな困難や挫折があっても、
なお私には夢がある。
それは、アメリカの夢に深く根ざした夢なのだ。
- 私には夢がある。
いつの日か、この国が立ち上がり、
その信条の真の意味を実現する日がくると。
「私たちはこれらの真理を自明のことと考える。
即ち、全ての人は平等につくられている。」
(独立宣言の一節を引用)
- 私には夢がある。
いつの日か、ジョージアの赤色の丘の上で、
奴隷の子孫と、奴隷所有者の子孫が
兄弟のように同じテーブルにつくことが出来るようになること。
- 私には夢がある。
いつの日か、差別と抑圧の熱がうずまくミシシッピー州でさえ、
自由と正義のオアシスに生まれ変わりえること。
- 私には夢がある。
私の四人の小さい子ども達が、いつの日か
肌の色ではなく、内なる人格で評価される国に
住めるようになること。
- 私には今日夢がある。
- 私には夢がある。
いつの日か、アラバマ州でも、
悪意に満ちた差別主義者に牛耳られ、
連邦の決定に対し、州知事から「不当な干渉だ」とか
「取り消し」という言葉しか出てこないアラバマ州においても、
幼い黒人の少年少女たちが、幼い白人の少年少女たちと
まるで兄弟姉妹のように手を取り合う日が来ること。
私には今日夢がある。
- 私には夢がある。
いつの日か、
「すべての谷は高くなり、丘や山は低くなり、。
荒地は平らになり、歪んだ地もまっすぐになり、
神の栄光が現れ、すべての人々が共にその栄光を見るだろう。」
(旧約聖書イザヤ書40章4〜5)
- これが私達の望みだ。
こういう信念を持って、私は南部へ戻って行く。
こういう信念があれば、絶望の山からも希望の石を切り出すことが出来る。
こういう信念があれば、私達は国にうずまく不協和音を
兄弟愛のすばらしいシンフォニーに変えることが出来る。
こういう信念があれば、私達は共に働き、共に祈り、
共に苦しみ、共に投獄され、共に自由のために立ちあがることが出来る。
- その日がくれば、
その日がくれば、全ての神の子ども達が
新しい意味をこめて歌えようになる。
「我が国、それは汝のもの。
麗しき自由の国、たたえて私は歌う。
父たちが死んだ国、開拓者の誇りとする国。
すべての山腹から、自由の鐘を鳴らそう」
(サミュエル・フランシス・スミス牧師の詩から引用)
そして、アメリカが偉大な国になるためには、
これを実現しなければならない。
- だから、自由の鐘を鳴らそう。ニューハンプシャーの大きな丘の上から。
自由の鐘を鳴らそう。ニューヨークの大きな山々から。
自由の鐘を鳴らそう。ペンシルヴァニアの高いアレゲニー山脈から。
自由の鐘を鳴らそう。コロラドの雪を頂くロッキー山脈から。
自由の鐘を鳴らそう。カリフォルニアのなだらかな坂から。
- それだけではない。
自由の鐘を鳴らそう。ジョージアのストーンマウンテンから。
自由の鐘を鳴らそう。テネシーのルックアウトマウンテンから。
自由の鐘を鳴らそう。ミシシッピーのすべての丘やモグラ塚から。
すべての山腹から、自由の鐘を鳴らそう。それが起こる時は、
- 私たちが自由の鐘を鳴らす時、
すべての村、すべての集落から、すべての州、すべての町から、鐘が鳴り響き、
すべての神の子ども達が、黒人も白人も、
ユダヤ人も、非ユダヤ人も、プロテスタントもカトリックも、
すべての人々が手を取りあい、
あの古い黒人霊歌を共に歌える日が、早くやって来る。
「ついに自由だ。ついに自由だ。全能の神に感謝。
私たちはついに自由だ。」
《全原文》
- I am happy to join with you today in what will go down in history
as the greatest demonstration for freedom in the history of our nation.
- Five score years ago, a great American,
in whose symbolic shadow we stand today,
signed the Emancipation Proclamation.
This momentous decree came as a great beacon of hope to millions of (Negro) slaves,
who had been seared in the flames of withering injustice.
- It came as a joyous daybreak to end the long night of their captivity.
- But one hundred years later, the colored American(Negro) is still not free.
- One hundred years later,
the life of the colored American is still sadly crippled by the manacle of segregation
and the chains of discrimination.
- One hundred years later, the colored American lives on a lonely island
of poverty in the midst of a vast ocean of material prosperity.
- One hundred years later, the colored American is still languishing in the corners
of American society and finds himself an exile in his own land
- So we have come here today to dramatize a shameful condition.
- In a sense we have come to our nation's capital to cash a check.
- When the architects of our great republic wrote the magnificent words
of the Constitution and the Declaration of Independence,
they were signing apromissory note to which every American was to fall heir.
- This note was a promise that all men, yes, black men as well as white men,
would be guaranteed to the inalienable rights of life, liberty, and the pursuit of happiness.
- It is obvious today that America has defaulted on this promissory note
insofar as her citizens of color are concerned.
- Instead of honoring this sacred obligation, America has given its colored people a bad check,
a check that has come back marked "insufficient funds."
- But we refuse to believe that the bank of justice is bankrupt.
- We refuse to believe that there are insufficient funds in the great vaults of opportunity of this nation.
- So we have come to cash this check,
a check that will give us upon demand the riches of freedom and security of justice.
- We have also come to this hallowed spot to remind America of the fierce urgency of Now.
This is not time to engage in the luxury of cooling off or to take the tranquilizing drug of gradualism.
Now is the time to make real the promise of democracy.
Now it the time to rise from the dark and desolate valley of segregation to the sunlit path of racial justice.
Now it the time to lift our nation from the quicksand of racial injustice to the solid rock of brotherhood.
Now is the time to make justice a reality to all of God's children.
- It would be fatal for the nation to overlook
the urgency of the moment and to underestimate the determination of it's colored citizens.
This sweltering summer of the colored people's legitimate discontent will not pass
until there is an invigorating autumn of freedom and equality.
Nineteen sixty-three is not an end but a beginning.
Those who hope that the colored Americans needed to blow off steam
and will now be content will have a rude awakening if the nation returns to business as usual.
- There will be neither rest nor tranquility in America until the colored citizen is granted his citizenship rights.
The whirlwinds of revolt will continue to shake the foundations of our nation
until the bright day of justice emerges.
- But there is something I must say to my people who stand on the warm threshold which leads into the palace of justice.
In the process of gaining our rightful place we must not be guilty of wrongful deeds.
Let us not seek to satisfy our thirst for freedom by drinking from the cup of bitterness and hatred.
- We must forever conduct our struggle on the high plane of dignity and disciipline.
We must not allow our creative protest to degenerate into physical violence.
Again and again we must rise to the majestic heights of meeting physical force with soul force.
- The marvelous new militancy which has engulfed the colored person's community
must not lead us to a distrust of all white people.
For many of our white brothers, as evidenced by their destiny is tied up with our destiny.
- And they have come to realize that their freedom is inextricably bound to our freedom.
- We cannot walk alone
- And as we walk, we must make the pledge that we shall always march ahead.
We cannot turn back.
- There are those who are asking the devotees of Civil Right, "When will you be satisfied?"
We can never be satisfied as long as the colored person is the picked victim
of the unspeakable horrors of police brutality.
We can never be satisfied as long as our bodies, heavy with the fatigue of travel,
cannot gain lodging in the motels of the highways and the hotels of the cities.
- We cannot be satisfied as long as the colored person's basic mobility is from a smaller ghetto to a larger one.
We can never be satisfied as long as our children are stripped of
their selfhood and robbed of their dignity by signs stating "for white only."
We cannot be satisfied as long as a colored person in Mississippi
cannot vote and a colored person in New York believes he has nothing for which to vote.
- No, no we are not satisfied and we will not be satisfied
until justice rolls down like waters and righteousness like a mighty stream.
- I am not unmindful that some of you have come here out of your trials and tribulations.
Some of you have come from areas where your quest for freedom
left you battered by storms of persecutions and staggered by the winds of police brutality.
You have been the veterans of creative suffering.
Continue to work with the faith that unearned suffering is redemptive.
- Go back to Mississippi, go back to Alabama, go back to South Carolina go back to Georgia,
go back to Louisiana, go back to the slums and ghettos of our modern cities,
knowing that somehow this situation can and will be changed.
Let us not wallow in the valley of despair.
- I say to you, my friends, we have the difficulties of today and tomorrow.I still have a dream.
It is a dream deeply rooted in the American dream.
- I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed.
"We hold these truths to be self-evident: that all men are created equal."
- I have a dream
that one day out in the red hills of Georgia
the sons of former slaves and the sons of former slave owners
will be able to sit down together at the table of brotherhood.
- I have a dream
that one day even the state of Mississippi,
a state sweltering with the heat of oppression,
will be transformed into an oasis of freedom and justice.
- I have a dream
that my four little children will one day live in a nation
where they will not be judged by the color of their skin but by their character.
I have a dream today.
- I have a dream
that one day down in Alabama, with its vicious racists,
with its governor having his lips dripping with the words of interposition and nullification;
that one day right down in Alabama little black boys and black girls will be able to join hands
with little white boys and white girls as sisters and brothers.
I have a dream today.
- I have a dream that one day every valley shall be engulfed,
every hill shall be exalted and every mountain shall be made low,
the rough places will be made plains and the crooked places will be made straight and the glory of the Lord
shall be revealed and all flesh shall see it together.
- This is our hope.
This is the faith that I will go back to the South with.
With this faith we will be able to hew out of the mountain of despair a stone of hope.
With this faith we will be able to transform the jangling discords of our nation into a beautiful symphony of brotherhood.
With this faith we will be able to work together,
to pray together, to struggle together, to go to jail together,
to climb up for freedom together, knowing that we will be free one day.
This will be the day when all of God's children will be able to sing with new meaning
- "My country 'tis of thee, sweet land of liberty, of thee I sing.
Land where my fathers died, land of the Pilgrim's pride, from every mountainside,
let freedom ring!"
And if America is to be a great nation, this must become true.
- So let freedom ring from the hilltops of New Hampshire.
Let freedom ring from the mighty mountains of New York.
Let freedom ring from theheightening Alleghenies of Pennsylvania.
Let freedom ring from the snow-capped Rockies of Colorado.
Let freedom ring from the curvaceous slopes of California.
- But not only that,
let freedom, ring from StoneMountain of Georgia.
Let freedom ring from every hill and molehill of Mississippi and every mountainside.
When we let freedom ring,
- when we let it ring from every tenement and every hamlet,
from every state and every city,
we will be able to speed up that day when all of God's children,
black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants and Catholics,
will be able to join hands and sing in the words of the old spiritual,
- "Free at last, free at last. Thank God Almighty, we are free at last."
池谷裕二さん(脳研究学者、1970年〜)
静岡県藤枝市生まれ。東大大学院薬学研究科助手。九九計算が今でも苦手というほど小さい頃は成績が悪かったが、英語の塾をきっかけに成績向上。
東大薬学部と大学院を首席卒業。博士号を取得し、02年からコロンビア大研究員。「海馬/脳は疲れない」「記憶力を強くする」等
- 脳の神経細胞は1000億あり、1個の神経細胞がネットワークをつくれる相手は1万位です。
神経細胞は1個では活動できず、たくさんのの神経細胞と結びついて、会話をするわけです。
人によって計算が得意だとか漢字を覚えるのが速いといった違いは、ネットワークのつなぎ方の違いです。
- 性能のよくなかったネットワークも、ネットワークを使い続けることで再編成され、効率のいいものになる。
状況に順応するようにできています。だからこそ「頭がいい、悪い」と人を決めつけるのではなくて、
脳が「いい状態にある」「悪い状態にある」と考えたほうが適切でしょう。
- コンピュータだと使えば使うほど消耗しますが、脳は使えば使うほど効率のよいネットワークを編み出し、
能力を自己増幅するという不思議な装置なんです。壊れることはありません。
- アイデアはいつでも生まれるものではありまぜん。条件は常に考えていること、これに尽きます。
意識、無意識を問わずです。アイデアは半分は努力の賜物。インスピレーションは無意識の努力によって生まれるんじゃないかと思っています。
- 今日中に原稿を書かないといけないのに何もやる気がしないとします。
そういうときは、とにかくパソコンに向かって文章を書き始める。
そうすると側坐核に刺激が与えられ、やる気が出てき、気づいたら集中していたなんてことになります。
つまり、やる気を生み出す方法は、まず努力してみること。
- 脳は体と密接な関係にあります。特に手や足に割り当てられた脳の領域はかなり大きいので、
それらを使わない生活を続けると、それだけ脳は退化します。
体を使うのは、脳全体を活性化する上で必要不可欠なんです。
オードリー・ヘップバーンさん(1929〜93年)
初主演「ローマの休日」の王女役でスターに。モンローやリズなどそれまでのグラマーなスターイメージを変え、
世界中から愛された。
アイルランド系イギリス人で銀行家の父と、オランダ男爵家の母の間に生まれる。
5才で、ロンドンの私立寄宿学校入学。6才の時、父が政治活動に財産をつぎ込み、家を出、9才の時、両親が離婚、親権は母に。
10才、中立国だったオランダに戻り、公立校に編入。ドイツ軍進駐で、家や財産を接収され、貧困と飢えの生活に。
12才でバレエの稽古を始め、ナチスへのレジスタンス活動を関わる。15才の時、戦いで町がほぼ全焼。16才で戦争終結。救援物資が国際機関(後のユニセス)から町にたくさん届く。二人の兄はインドへ移住。母とオードリーはアムステルダムに引越し。窮乏生活で喘息、黄疸、栄養不良にかかった。
19才、オランダの旅行映画に端役で出演。ロンドンのバレエスクールの奨学金を得、母と英に渡り、モデルアルバイトをする。20才の時、バレリーナとしての限界を感じ、ミューカルのオーディションを受ける。100倍の難関を突破して初舞台を踏む。
演技指導を受けつつ、ミュージカル2本、映画4本に端役で出演。
22才の時、映画撮影中のモンテカルロで、作家の目にとまり、ブロードウェイ「ジジ」の主役に抜擢。
24才、激しい稽古を積んだ「ジジ」が好評で、ウィリアム・ワイラーに認められ、「ローマの休日」の主演に抜擢。
54年度のアカデミー賞、ゴールデングローブ賞の主演女優賞受賞。彼女のショートカット、半袖ブラウス、ロングスカートが世界中で流行。
グレゴリーペックに紹介されたメル・フェラーに誘われ、ブロードウェイ「オンディーヌ」に出演。トニー賞受賞。
25才、ビリー・ワイルダー監督、ジヴァンシー衣装の「麗しのサブリナ」。サブリナパンツ流行。その後彼女の衣装は永くジヴァンシーが担当する。
静養中のスイスで12才年上のメル・フェラーと結婚。フェラーは3度目の結婚で、4人の子供がいた。すぐに妊娠したが流産。その後も数度流産。
その後、年に1作を続け、「戦争と平和」「パリの恋人」「昼下がりの情事」。
役作りの参考で訪れたコンゴの病院で、看護尼シスター・アベに出会い、子供たちの悲惨な状況も体験する。
30才、フレッド・ジンネマン監督「尼僧物語」、メル・フェラー監督「緑の館」は評判悪く、2人での映画製作はこれが最後に。
西部劇「許されざる者」撮影中、落馬して重傷を負うが 退院後、同じ馬で撮影を終える。付き添ったのはコンゴで出会ったシスター・アベ。長男ショーンが誕生。
入院のニュースに音信の絶えていた父から手紙が来、以後、父が90才で亡くなるまで援助を続ける。
32才から、「ティファニーで朝食を」「シャレード」、35才の「マイ・フェア・レディ」では歌のレッスンを続けたが結局吹き替えとなる。
映画はアカデミー8部門独占。オードリーはゴールデングローブ主演女優賞受賞。以後、「おしゃれ泥棒」「暗くなるまで待って」。
38才で夫メルの女性問題で離婚。39才の時、ローマ大助教授の精神科医、9才年下のアンドレア・ドッティと結婚し、ローマに移住。
家庭の為にしばらく映画出演を断り続ける。40才で次男ルカ誕生。42才の時、ユニセフの映画に出演。46才、「ロビンとマリアン」。
47才、ローマで有名人誘拐が多発、ショーンとルカも尾行される。スイスの学校に転校させ、スイスとローマを往復する生活になる。
51才の時、父が90才で死去。ロサンゼルスの内輪のパーティで、7才年下のロバート・ウォルダースと出合う。
52才、ピーター・ボグダノヴィッチ監督「ニューヨークの恋人たち」
53才で夫の女性問題により離婚。55才の時、母が84才で死去。59才、ユニセフ特別大使を引き受け、4年間にエチオピア、トルコ、南アメリカ、中央アメリカ、スーダン、バングラデシュ、ヴェトナム、ソマリアを訪問。
インタビュー嫌いだったが、以後、たくさんの場所やメディアにスピーチをする。
60才、映画「オールウェイズ」に天使役で特別出演。世界の名園を紹介するテレビ「Gardens of the World」を撮影。
63才の時、ガンで緊急入院、手術。スイスの自宅に戻り、息を引き取る。「Gardens of the World」の放映予定が死去翌日の1月21日でそのまま放映された。
- バレエをやっていたために習慣的に身に付いたものがあります。リラックスしているときでも、体はたえず緊張しています。自分の姿が優雅であるよう、たえず意識させられました。
- 父は私に連絡をよこしませんでした。会いたいとも思わなかったのです。20年以上も。それは捨てられた子どもにとって耐え難いことです。とてもつらいことでした。
- 再婚する時、幸せな家庭を築くために名声も何もかも犠牲にする覚悟でした。自分のため、夫のため、大事な子どものためにね。アンドレアと私はお互い束縛しないという取り決めをしたんです。
私はこの結婚がいつまでも続くことを願っていました。
- ユニセフの活動をするために女優をやってきたのではないかと思います。これほど女優でよかったと思ったことはありません。
- エチオピアの飢餓であれ、エルサルバドルの内戦であれ、スーダンの人種的殺戮であれ、そこにはたったひとつの明白な真実しかありません。それは自然の災害ではなく、人為的な悲劇であるということです。
そして、その解決策はたったひとつ、平和しかない、という真実です。
※ジヴァンシー
彼女は自分のほしいものをちゃんと知っていたんです。
自分の顔立ちと体つきを、その長所と欠点を完全にわかっていました。
村上龍さん。「13歳のハローワーク」に関して
ご年配の方は先鋭的な初期イメージが強いかもしれませんが、社会全般を真摯に見ている方です。
- 自分が興味を持てる分野で専門的な知識や技術を身に着けたほうが有利だ、ということを示した。
- 嫌いなことをイヤイヤながらやるよりも、好きなこと、興味があることをワクワクしながらやるほうが集中できるし、効率が上がる。
- 嫌いな仕事や向いていない仕事は続けるのが苦痛なのですぐにわかる。
続けるのが苦痛でも、終身雇用が機能していたころのようにその職が安定しているのだったら合理的かも知れない。
だが、いつリストラされるかわからないというような状況で、苦痛な仕事を続けることには合理性はない。
- 現代では平均以上に金を稼ぎ、出世する確実な方法がない。
つまりいい学校に行って、いい会社や権威のある役所に入っても成功者になれるかどうかわからない。
それが、今の子どもたちに勉強へのモチベーションを失わせている原因のほとんどすべてだ。
- 仕事・職業を「生きていく上で必要な「生活費」と「充実感」を得るもの」と定義した。
- 必要なのは、お互いに信頼できて、相談できて、しかもその中で癒される小さな共同体、のようなものではないだろうか。
それは結婚という形を取らず共に生きる男女かも知れないし、たとえばNPOなどで共に活動した仲間かも知れないし、昔からの友人同士かも知れない。
- 人生の成功者というのは、「生活費と充実感を保証する仕事を持ち、かつ信頼できる小さな共同体を持っている人」という仮説を立ててみたい。
村上龍編集長のメルマガへ
チャ−チルさん (1874〜1965年)
葉巻にVサイン、辛辣さとユーモアあふれる発言で有名な英国の名宰相。戦時内閣首相として国民を指導し、第二次世界大戦を勝利に導いた。
- 今にして言えることは、アルコールが私から奪ったものよりは、私がアルコールから得たものの方が多かったと言うことです。
- 私としては、いつでも学ぶ姿勢ではいるのだが、教えられることは、必ずしも好きとはいえない。
- 厳しい批判はうれしいものじゃないが必要だ。身体に感じる痛みと同じで、不健康なものがはびこりはじめているのに気づかされるからだ。
- 楽天家は困難の中にチャンスを見い出す。悲観論者はチャンスの中に困難を見る。
- 成功とは情熱を失わずに、失敗から失敗へ突き進む能力のことである。
- Never, never, in nothing great or small, large or petty, never give in except to convictions of honour and good sense. Never yield to force,never yield to the apparently overwhelming might of the enemy.
- こんな面もありました。
私は未開人種に毒ガスを使うことに賛成だ。(といって、20年代中東で対イスラムに毒ガス使用)。
長いことそこにいたからと言って、おけの中の犬がおけの権利を持つということに同意できないし、その権利を認めない。
だから、たとえばアメリカ先住民やオーストラリアのアボリジニに悪行がなされたとは思っていない。
彼らは、より強い、より上位の人種、より賢い人種に住む場所をとって代わられたというのが事実なのだ。
チャーチルさんの本
古畑任三郎さん
三谷脚本、田村正和主演の怪作刑事ドラマ。黒のスーツにスタンドカラーのシャツ、セリーヌの自転車で現場に登場し、今泉(西村雅彦)との迷コンビで事件を解決。
- 自分が人に嫌われてるんじゃないかと心配しているみなさん、安心して下さい。そういう場合はたいてい本当に嫌われてます。問題なのは、自分が人に嫌われてるのがわかってない人の方で...
- 人の心を読むときは、相手の目を見て話して下さい。逆に心を読まれたくない時は、絶対に目を合わせないことです。鼻を見て話して下さい。相手の鼻です。自分の鼻じゃありません。
- 走ったすぐ後は息が乱れるものです。30過ぎるとなおさらです。そういう時は、大きく深呼吸をしてゆっくりとお茶を飲むと落ち着きます。しかし、一番良いのは、30過ぎて走らないことです。
- え〜、物を良く無くす人います。しかし、どうかかんしゃくを起こす前にもう一回自分の周りを良く探してみてください。え〜、眼鏡を無くして困っているお父さん、もう一回おでこにかかってないか調べてみてください。
コンタクトを無くしたお姉さん、目の隅にずれてないか確認してみてください。入れ歯を無くしたおじいさん、口の中に落ちてないかもう一回調べてみてください。そう、探し物はたいていあなたのすぐ目の前にあるものです。え〜、意外な所に。
- パジャマのボタンをとめてから、全部ずれていたことに気付くことってよくあります。パジャマを着るときは、必ずボタン、下からとめて下さい。まず掛け違えることはありません。合理的に生きるっていうのは、つまりそういうことで...
三谷幸喜データバンクへ 古畑任三郎のDVD
羽生善治さん(70年〜)
将棋9段。1995年七冠制覇。永世棋聖・永世王位・名誉王座・永世棋王。タイトル通算58期保持。年令の近い森内俊之・佐藤康光などと共に羽生世代と呼ばれる。
- 僕は日本一...いや、世界一、将棋の好きな人間になりたいです。
- 10年とか20年とか30年とか、同じ姿勢で同じ情熱を傾け続けられることが才能ではないでしょうか。
- 夢は目指した時から目標に変わる。
- 勝負の世界では「これでよし」とする消極的姿勢になるのが一番怖い。常に前進をめざさぬかぎり、そこでストップし、ついには後退が始まるからです。
- 目先の利益もあるけれど、先行投資的なことをやっていかなくてはいけないんだということです。勝負に勝つということは、会社で言えば目先の利益だと思うんです。それも大切だけど長いことずっと将棋を続けていくわけですから、目の前の勝負以外のところで、やっぱり何かしなくてはいけない。
- 新しいことを行うのはリスクが大きいものです。私自身、勝負の世界にいて、なにか新しいことに挑戦したとして、多分、上手く行くことは半分もない、失敗する可能性のほうが圧倒的に高いと思います。ただ、だからと言って、今までやったことのないことや、自分が不得意としていることをやらないとなると、だんだんと自分の世界が狭くなり、戦法が固まってきてしまいます。
- 対局中はもちろん相手とも戦っていますが、同時に迷いや恐れといった自分の中にある弱い気持ちとも戦っています。この弱い部分というのは自然な気持ちであると思います。
- 将棋は負けを自分で宣言しなければならない。それが勝手な性格を変えてくれました。
将棋連盟へ 羽生善治さんの本
五嶋みどりさん(1971年〜)
大阪生まれNY在住の天才バイオリニスト。
82年の大晦日NYフィル演奏会に11才でセンセーショナルなデビュー。
86年バーンスタイン指揮ボストン交響楽団のコンサートで弦が2度切れたにもかかわらず、3台の楽器を持ち替えて弾き終え、神話となった。個人資金で財団を設立。10万人以上の子供たちに音楽を提供してきた。
- 満足感は私一人で決めることではなく、関わっている人すべて、演奏者も含めて
演奏に触れる人全てがそれぞれ感じることだと思います。
- 最近の若い演奏家に多く見受けられるのですが、ミスのない演奏を完璧だと思って目指すことです。完璧に弾くことに満足感を覚えるのは恐ろしいことだと思います。
人間はそもそもミスを犯すものであり、完璧な人間なんて存在しないわけです。
音楽は私にとって存在そのものですから、完璧に曲を弾きこなすことに神経を集中させることは、最も人間的でない行為に思えます。
- 私は魔法使いではないので、どのように練習すれば上手くなるのかという事は分からないのですが、
めげずに何度も繰り返してやることです。
五嶋みどりミュージック・シェアリング 五嶋みどりさんの音楽
夢千代さん(夢千代日記・吉永小百合)
どんよりとした日の多い山陰の小さな「湯の里温泉」。
母親の後を継いだ芸者置屋「はる家」を営む夢千代は、広島で母の胎内にいて被爆し、
その白血病の進行であと数年の命。80年代のTVドラマ。
管理人は小百合世代です。「愛と死を見つめて」が中学のときで...
- 幸せはみなひと色だけど、不幸は一つ一つちがった色をしているそうです。
私を含め、わが「はる家」にいる芸者衆が、なぜ芸者になったかは、一人、一人、違います。
- どうか私に助けさせて下さい。私は治らない病気を持った人間です。助けばかりよんでいる人間です。ですから、誰かの力になりたいんです。
- 夜になって初雪、なにか生き急いでいるわたしたちのように、今年の雪は、いつもより早い初雪です。
- 今夜も日本海の波の音が聞こえます。
もう一度、私を好きと言ってもらいたいのです。
「春になれば、春になれば]そればかり想っております。
舞台になった湯村温泉 夢千代のDVD
ヤンクミ(ごくせん・仲間由紀恵)
私立白金学院高校新任数学教師にして、大江戸一家三代目黒田龍一郎の孫娘、山口久美子。
通称ヤンクミが繰り広げる痛快学園ドラマ。コミックとTVで多少設定に違いあり。正しく痛快でした。
- 喧嘩が強いことが人として強いことではない。守るべきものを守れる強さがあればそれでいいんだ。
- 私はお前を裏切ったりしない。何があっても絶対に守る。
- みんな、アタシと一緒に、心の汗を流そうよぉ〜。
- 人が話してるときは相手の顔を見る。お前らそんな常識も知らないのか。
- 親が稼いだ金を投げるんじゃねぇよ。
- おまえら。不良の風上にも置けねぇヤツラだ。先公バカにすんのも上等。ケンカすんのも上等。
けどなぁ。卑怯なマネだけはするんじゃねぇよ。正々堂々。胸張って不良やりやがれってんだ。
- 何が何でもお前ら引っ張ってく。キッチリ全員そろって卒業させてやる。
- お前ら。頭は悪いし、礼儀は知らないし。どうしようもないヤツラだけど、根性だけは真っ直ぐだって信じてたのに。なのに。なんだよ、このザマは。
- 人ってぇのはな、笑ってるから楽しいとは限らねぇ。涙を流しているから悲しいとは限らねぇ。相手のことをよぉく見るんだ。
他の人が見落としてるようなことでも、しっかりと見てやるんだ。そうすりゃぁ、おまえの気持ちは相手に伝わる。
- 先公を恨んで学校を恨んで、それでお前は、幸せになれんのかよ。
いつまでもお天道さまに、背中を向けて生きてんじゃねーよ。
人間ってのはなぁ、お天道さまに胸張って、顔を上げて生きていくもんなんだよ。
もう逃げるな。人生ってのは、その気になりゃ、いくらでもやり直せるもんなんだ。
いいな。どんなに苦しくても、絶対に逃げるな。
- わかった風な口たたいてるんじゃねーよ。
お前ら、自分で稼いで高校通っているのか。
親が、汗水たらして稼いだ金で通ったんじゃねーのかよ。
それを無駄にするっていうのか。
お前達の高校生活を、親御さんたちがどんな思いで毎日支えていたと思ってるんだよ。
- いいか。卒業するっていうことは、
お前達が思っている以上に、もっと大きな意味があるんだ。
だからこそ卒業式ってもんがあるんだ。
卒業式っていうのは、お前らにとっては退屈かもしれねぇ。つまらないかもしれねぇ。
けどな、卒業式っていうのは、お前らを育ててくれた親に感謝する儀式でもあるんだ。
親父さんやおふくろさんたちが、お前らをここまで立派に育てたんだって、
胸張る儀式でもあるんだよっ。
わかるだろう。
- まだわかんねーのかよ。
お前達の卒業には、私のクビをかけるほどの価値があるんだよ。
クビになってもいいって思える教え子を持てるなんて、
こんな嬉しいことはねぇんだよ。
だから、お前達には、胸張って、堂々と卒業してほしいんだよ。
- いいか。今、お前達が持ってる卒業証書。
ただの紙切れだと思うな。
卒業証書には、お前達が3年間学んだことの重みが詰まってる。
勉強は出来なかったかもしれない。
けど、お前達は学んだはずだ。
大切な、大切なものを守るために、歯を食いしばるってことを。
諦めないこと。逃げないこと。
自分を信じること。仲間を信じること。
いつも、胸張って生きること。
この3年間で学んだことを、忘れずに生きていってほしい。
それから、もう一つ。
これから先、辛いことや、苦しいこともあるだろう。
一人で抱えきれなくなった時には、思い出せばいい。
お前達には、仲間がいるってことを。
そして、私がいるってことを。
私はずーっと、お前達の味方だから。
ごくせんの本
曽我ひとみさん
北朝鮮拉致被害者。ようやく家族で佐渡に暮らすことができるようになった。強い心と意思の持ち主。尊敬。
- みなさん、こんにちは。
24年ぶりに古里に帰ってきました。とってもうれしいです。
心配をたくさんかけて本当にすみませんでした。
今、私は夢を見ているようです。人々の心、山、川、谷、みんな温かく美しく見えます。
空も土地も木も私にささやく。「おかえりなさい、がんばってきたね」。
だから、私もうれしそうに、「帰ってきました。ありがとう」と元気に話します。
みなさん、本当にどうもありがとうございます。
- 夢にまで見た家族との再会が実現して、家族4人ともうれしく胸がいっぱいです。
夫と娘達も徐々にこちらの生活に慣れ、少しずつ緊張もほぐれてきているように感じます。
必ず家族4人で日本へ帰りたいと思います。
- 佐渡の美しいところを見せてあげたい。佐渡に住む人々と同じように静かな暮らしをしたい。
- 佐渡市民の皆様、国民の皆様に心より感謝しております。
今日という日を迎えられたのは、日本の国民の皆様方のおかげです。ありがとうございます。
心の支えになって、やさしく見守ってくださったことに心から感謝します。
中越地震の被害者の皆さまが早く落ち着いて生活できることを祈っています。
- 私にとって、日本はみんなが温かく励まし合いながら仲良く暮らす大きな家族です。
救う会全国協議会
林文子さん(1946年〜)
04年米紙が選ぶ「注目の女性経営者50人」で日本人で唯一選ばれ、ダイエーのCEO兼会長に就任予定。
都立青山高校卒。東洋レーヨンに就職するがお茶くみやコピー取りに飽き足らず、松下電器に転職。すぐ結婚退社。
オムロンを経て、77年ホンダ入社。翌月よりトップセールスに。
87年BMW東京入社。世田谷支店の5年で400台販売。93年新宿支店長就任。最下位の同店を最優秀支店に育てる。
98年中央支店長就任。やはり最下位の同店も最優秀支店に。逆に新宿店は再び低迷。
99年VWにスカウトされ、ファーレン東京の社長就任。4年で売上を倍増させる。
01年アウディ東京の代表を兼務。ショールームでクラシックコンサートやダンスイベントを開催。
03年BMW東京に社長として復帰。05年ダイエー再建の切り札として抜擢。
- 人が楽しそうにしていたり、うれしそうにしていたりするのを見るのが、本当に好きなんです。
一緒に幸せでありたいという気持ちがいつも根底にありますよね。
- フェイスツーフェイス。肌で感じるのが一番人を感動させることができるということ。
- おもてなしの心が一番大事だと思う。
- 褒めると共に、感謝することも忘れてはならないと思います。
部下に「あなたと出会って、一緒に仕事ができて幸せだわ。どうもありがとう」と
臆面もなく言うことにしています。
- 私自身を理解してもらうために経営幹部をはじめ社員に対し、
仕事以外のことも含めて、毎日毎日語り続けてきました。
- ホウレンソウ(報告・連絡・相談)は上司から。
- 現場主義がすべてなのに、マネジメントのどこかでそれが切れてしまっていてね。
社長こそ現場の隅々に目が行き届いているのが普通のことだし、一番わかっていなければいけない。
- セールスを長く経験してきた私には何が分かるかというと、1台1台を懸命に売っている、
その現場の様子がはっきりと見えるのです。
- 叱る時はその方のいいところを褒めることから始めます。ここがすばらしい、でもここが惜しい。
あなたを見ていると悔しいです、こんなにいいところがあるのに、こんなだなんて本当に悔しいね。
- 上司は答えをすぐ求めたくなるんです。継続なんですよ。タイミングを見ながら継続してお話ししているうちにね、
お稽古事と一緒で「もうできない、できない」と3年くらいやっていたら、ハッとうまくなっちゃうことってないですか?
- 朝礼を「みなさん毎日毎日ありがとう。ご苦労さまです」と言うところから始めるんですよ。
- 中には煩わしいと感じる人もいるでしょう。しかし心を通わせることをあきらめてはならないのです。
タイミングを見計らって、何度でも上司から声をかける。実は若い人も本当はそれを望んでいるのですから。
- 社長の仕事は、一緒にいる社員を幸せにすること。
- どんな方も人生のお手本になります。
- 「先まで思い煩うな」ってことですね。思いがけないことがあるのが人生。思い煩わないで「これがやりたい」と思ったら、まず踏み出してやってみてほしい。
- 週2回スポーツジムで水泳、あとは朝晩25分ずつストレッチをして。一番楽しいことは家族と食卓を囲むことなんです。
- 人を大切に見つめ、共に歩いていけば、道はさらに開けていくと思います。
秋山ちえ子さん (1917年〜)
評論家。エッセイスト。TBSラジオ「秋山ちえ子の談話室」は57年から45年間1万2512回、
時事や暮らしの話題を幅広く取り上げ、美しい日本語で語り続けた。
宮城県生まれ、東京女高師(現御茶の水女子大)卒、国立東京聾唖学校で3年教えた後に結婚退職。
中国で4年暮らし、48年よりNHKラジオ「婦人の時間」で放送の仕事についた。
「秋山ちえ子の談話室」は毎回「みなさま、こんにちは」で始まり、
「それでは今日はこれで。皆様ごきげんよう。」で穏やかに終わり、
毎年、8月15日には戦時中餓死させられた上野動物園の象の物語「かわいそうなぞう」を平和への願いを込め朗読した。
週1で再開した「秋山ちえ子の日曜談話室」も今秋まで。日本エッセイストクラブ賞、菊池寛賞受賞。
森繁、伴淳両氏らと始めた「あゆみの箱」や、障害者施設、車イスマラソンなどへの支援活動を長く続けている。
秋山ちえ子さんと兼高かおるさんの頑張りは、女性のポジションを引き上げました。
- 「おはよう」「ありがとう」という挨拶の言葉を多くすること、
ご近所の高齢者に声をかけるといった小さな親切は、その気になれば誰でもが出来ることです。
しかし。その気になるためには自分の心のゆとりが必要になります。心のゆとりとは単なる時間の多少の問題ではなく、
身のまわりの美しいもの、楽しいことを感じることが出来ることが物を云うと思います。
- ファンの方で、自宅の庭の雑草と呼ばれている植物に心ひかれ、摘んで、押し花にして、
額にまとめて送って下さる方がいます。
又、私の出す葉書にと、左下に季節毎にしゃれた小さなカットを描いて届けて下さる方もいます。
私は心をこめてお礼状を書きますが、絵を描くこと、見ることが好きというおしゃれ心いっぱいの人、
生きていることを楽しめる人との交友を大事にしたいと考えます。
私も絵を見るのも描くのも好きです。ひっそりと生きていることを一人で楽しむ、
心のゆとりを生み出す時間を大事にしています。
- 一番生活の困っていることを知っているのは女性です。村会議員、町会議員、市会議員などをもっと増やして、
そこから国会議員に出てほしい。女性の大臣は最低3人はほしい。
今の日本で、女性がもっと発言権を持ったほうが良いと思うのは、生活関連の分野です。
女性の力を、じわりじわりと生活の中で生かしていきたいと思います。
- 情報を違う角度から見たり、考えたりすることが必要です。
取材の時も一歩近寄ったり、十歩後に下がって見ることをしなければと、初心に戻ることを考えます。
- 頑張っていない人に「頑張ってください」というのなら分かるけど、
歯を食いしばって必死に頑張っている人に軽い気持ちで「頑張ってください」というのは失礼です。
秋山ちえ子さんの本
レイチェル・カースンさん(1907〜64年)
海洋生物学者。62年「沈黙の春」により、世界で初めて環境汚染を警鐘した。豊富なデータと深い洞察力、自然への愛情に溢れた名著。
他に「我らをめぐる海」「センス・オブ・ワンダー」など
米ペンシルベニア州の自然に恵まれた町で牧師の娘として生まれ、
ペンシルベニア女子大で英文学を専攻したが、2年次に受講した生物学に魅了され、専攻を変更。
大学院の夏期研修でウッズホール海洋生物研究所で学び、海洋生物学者としての研究をはじめた。
ジョンズ・ホプキンス大に移って遺伝学を学び、同大やメリーランド大で非常勤講師となる。
35年父が急死、翌年姉が亡くなり、姉の娘二人を母親と二人で引き取る。
生活のため、ワシントンの魚類・野生生物局に就職。そこで漁業者向けラジオ番組「海のロマンス」の制作にあたる。
50年「われらをめぐる海」がベスト・セラーに。58年友人オルガから
「役所が沼地にDDT散布をしてから、いつも家にやってきていたコマツグミが次々に死んでしまった」という手紙を受け取り、調査を開始。
他の仕事を止め、農薬禍のデータ収集と分析に取り組んだ。途中ガンの宣告を受けたが、
自分が感じた「かけがえのないもの」を次世代に残そうと4年間没頭して「沈黙の春」を出版。ついで子供たちのための「センス・オブ・ワンダー」を執筆。
- 海は大地の終わり、天の始まるところを永久にめぐる果てしない水の流れ。
生命を奪う破壊者、そして生命の母。人は血液という名の海を持つ。
- すべての海岸で、過去と未来がくり返されている。
時の流れの中で、あるものは消え失せ、過ぎ去ったものが姿を変えて現れてくる。
海の永遠のリズム、それは潮の干満であり、打ち寄せる波であり、潮の流れである。
その中で、生命は形づくられ、変えられ、支配されつつ、過去から未来へと無情に流れていく。
- 鳥が歌い、草木は花をつけ、実を結ぶ、のどかなアメリカの田舎町があった。
ところがある時を境に自然は沈黙した。春がきても鳥は歌わず、草花は枯れてしまった。
地球の素晴らしさは生命の輝きにある。
人類は自然の一部であり、自然を支配することに熟達するのでなく、
私達自身を制御することに熟達することが、今日ほど強く求められたことはない。
- 私は、子供にとっても、そして子供を教育しようと努力する親にとっても、
「知る」ことは、「感じる」ことの半分の重要性さえも、もっていないと固く信じている。
- 子供たちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれている。
残念なことに、私たちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、
美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、ある時は全く失ってしまう。
もし、私が全ての子供の成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、
世界中の子供に、生涯消えることの無い
「センス・オブ・ワンダー(神秘や不思議に目をみはる感性)」を授けてほしいと頼むだろう。
地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、
人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはないだろう。
- 子供たちが、このような妖精からの贈り物に頼らずに、生来の驚異の感覚を生き生きと保ち続けるためには、
その感覚を分かち合える大人が少なくとも一人、その子供のかたわらにいて、
われわれの住んでいる世界の歓喜、感激、神秘などをその子供といっしょに再発見する必要がある。
- 私たちの住んでいる地球は、自分たち人間だけのものではない。
- 自然の征服。これは人間が得意になって考え出した勝手な文句にすぎない。
レイチェル・カースンさんの本
アルケミスト(パウロ・コエーリョさん作)
アンダルシアに住む羊飼いの少年サンチャゴがエジプトのピラミッドで宝物を発見する夢を見、その夢を「前兆」として、エジプトへと旅立つ。
旅の途中、迷いや疑問を感じながらも、セイラムの王、クリスタル商人、少女ファティマ、錬金術師(アルケミスト)たちと出会い、成長していく。
ブラジルの人気作家パウロ・コエーリョのベストセラー。
- おまえが誰であろうと、何をしていようと、おまえが何かを本当にやりたいと思うときは、その望みは宇宙の魂から生まれたからなのだ。
- 人が本当に何かを望むとき、全宇宙が協力して、夢を実現するのを助けるのだ。
- 自分の運命を実現することは、人間の唯一の責任なのだ。
- 君が何かを全身全霊で欲した時、君はその「大いなる魂」と最も近い場所にいる。それはいつも、前向きな力として働くのだ。
- 夢見ることを、やめてはいけないよ。
- 夢を追求している時は、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ。
- お前は常に、自分が何を欲しているか知らなくてはならない。
- たとえおまえが心の言うことを聞かなかった振りをしても、それはおまえの中にいつもいて、おまえが人生や世界をどう考えているか、くり返し言い続けるものだ。
- 結局、人は自分の運命より、他人が羊飼いやパン屋をどう思うかという方が、もっと大切になってしまうのだ。
- 人は、本当に起こっていることではなく、自分が見たいように世の中を見ているのだ。
- 上着の重さに文句を言おうとした時、上着があるからこそ明け方の寒さをしのげるのだ、と思い直した。
- 夜明けの直前に、最も暗い時間が来る。
- 時には、ものごとは、そのままに放っておいた方がいい場合がある。
- もし、自分の運命を生きてさえいれば、知る必要のあるすべてのことを、人は知っている。
- しかし、夢の実現を不可能にするものが、たった一つだけある。それは失敗するのではないかという恐れだ。
- すべての探求は初心者のつきで始まる。そして、すべての探求は、勝者が厳しくテストされることによって終るのだ。
- あなたが涙を流す場所に気をつけなさい、そこに私がいます。そしてそこにあなたの宝物があります。
「星の巡礼」コエーリョさん作で
船は港にいる時、最も安全であるが、それは船が作られた目的ではない。
われわれは、どの道に従うのが最も良いか常に知っている。しかし、われわれは慣れ親しんだ道にしか従おうとしないのだ。
「第五の山」コエーリョさん作で
- 子供は常に、三つのことを大人に教えることができます。
理由なしに幸せでいること。何かでいつも忙しいこと。
自分の望むことを全力で要求する方法を知っていること、の三つです。
- 人生の意味とは、自分がやりたいと思うことをすること。
- 自分自身に疑いを抱かぬ者は尊敬に値しない。
なぜなら、自分の能力をまったく疑わずに信ずる時、人は傲慢という罪を犯しているからだ。
優柔不断な時を味わう者は幸いなり。
パウロ・コエーリョさんの本
高橋国光さん (1940年〜)
18才からレースで活躍し。55才の95年にルマンでクラス優勝。99年NSXでの全日本GT選手権を最後に引退。
誰からも慕われる温かい人柄。「チーム・クニミツ」監督&社長。
58年第1回全日本モーターサイクルクラブマンレース350クラスに18才で優勝。浅間火山コースで開催された翌年も500クラスで優勝し、
ワークスの耐久シニア500クラスに招待出場して、伝説のレーサー伊藤史郎と二人でレースをぶっちぎった。
60年世界GPの後半3戦に出場、61年独GP250クラスで日本人初優勝。62年125クラスで開幕2連勝するが、
3戦目マン島TTの1周目高速コーナーで大クラッシュ、10日間意識不明に。
その後復帰するがトップマシーンを与えてもらえずに最高3位。64年仏GPの4位を最後に二輪引退。
四輪に転向し、66年第4回クラブマンGTレースにフェアレディで初優勝、67年第4回日本GPに日産R380で生沢ポルシェと競り合い2位。
70年GTRで5戦全勝、77年F2000チャンピオン、F1日本GPに旧型ティレルで9位。78年F2チャンピオン。
85〜87・89年全日本耐久選手権チャンピオン。
- ルマンでクラス優勝
圭ちゃん(土屋)とアキラ(飯田)がぼくにチェッカーを受けさせようと言ってくれて、
それに感激してぼくが涙を見せたら2人も泣いてしまって3人が男泣きしたんです。
それほど、我々のチームワークは固かったし、サポートしてくれたNOVAのみなさんの仕事はパーフェクトだった。
そしてこのル・マンで走るチャンスを作ってくれた方々に今回のクラス優勝を贈りたいと思います。本当にありがとうございました。
- 初めてのルマンで同僚ドライバーが激突死
最高速を抑えて390kmにしていましたが、それでもストレートではいつ飛ぶか分からないほどの状態になりました。
僕は怖くて、もうル・マンに負けたと感じていました。実際そのレースで自分たちの車が飛んでしまって、相棒のジョー・ガードナーが即死しました。
僕はル・マンに慣れていなくて、僕の乗るタイミングにガードナーが「高橋はル・マンが初めてなんだから」と乗っていった。
それで間もなく死んでしまったのです。そういう出来事というのは一体何なのでしょうか。やはり運のようなものもあるわけでしょう。
あのとき僕が乗っていたら、ひょっとしたら僕が死んでいたかもしれない。死んでいなかったかもしれない。
- ルマンで炎上事故
僕のマシーンにも火がついたのですが、ミラーに火が映っていないので気がつかないんです。
超高速で走っていますので火の回りが遅いんです。
でも、何か異様な雰囲気というのは自分で感じるものなんですね。
エンジンは快調に回っていたんですが、何か空気を感じました。
これはどこか異常だと真剣になって、コーナーに進入する時にちょっとゆるめて入って様子を見ました。
観客はワーッと騒いでいますがコックピットの中の僕には聞こえない。
タイヤに火がついてすごい勢いでスピンして、後部からボンッと火がやってきて、僕は炎にくるまれました。
パニックになってドアを開けようとしましたが開かないんですよ。ああ、死んでいくのかと思いました。
ああ、死にたくない。死んではいけない。
だから、もう一度ドアを開けてみてそれでも開かなかったら、ウインドウを蹴破って脱出しようと瞬間的に感じました。
で、もう一度、今度はあわてないでゆっくりドアを開けると、簡単に開くんです。
そこでパッと逃げまして、自分にはあまり火はついていませんでしたが、マシーンはすごい勢いで燃え、そばへは近寄れません。
そういう状況で僕が出てきましたら大観衆が拍手喝采してくださるのです。
リタイアしてあんな喝采を浴びたのは初めての経験でした。
- 1960年に世界グランプリに出場しました。
当時の日本は自動車やバイクの文化をはじめ、すべての経済状況が今とは違ってみな働くことに一生懸命だった時代です。
ヨーロッパへポンと行ってみると、道路事情からトイレやシャワー、食べ物まで、
何から何まで生活文化が違って、びっくりしてしまいました。
レースでは日本ではとても考えられない数の観客がいるのと同時に、
あまりにも速く走らなければならないことに恐怖感を覚えました。怖くて走れなかったのです。
けれども、ヨーロッパの人たちはお祭りを楽しむような感覚でレースを観戦に来ている。
日本で暴走族をもの珍しく見物するのとは次元が違って、
モータースポーツの文化というものが根づいていると強く感じました。
そして直感的に、日本に、世界に、最後に残るスポーツかもしれないと感じたのです。
- 本田社長や河島監督の凄まじい情熱に支えられて、ぼくは懸命になって走った。それは素晴らしい青春だった。
- マン島の事故のときにかぶっていたヘルメットを今も持っています。
現在のヘルメットは大変性能が良くなっていますが、ダンボールみたいな紙を重ねて作られています。
事故では、ヘルメットの形が変わるほど頭を強く打ちました。
そのときかけていたゴーグルも金具の部分が目の上に入ってしまいまして、この傷はそのとき金具でできたものです。
でも眼球は助かっていますので、神様に感謝しなければいけないですね。
- イギリスで数ヶ月、そして日本に帰ってからも入院していたのですけれど、
退屈でただベッドにいることがつらくて、死にたかったです。
なんで事故のときに死ななかったのだろう、あのまま死んでいたら僕はこの退屈を知らないで本当に楽だったろうなぁ、
と毎日そんなふうに考えているうちに、だんだん今度は自分の母親のことを考えたり、
父親のことを考えたり、友人のことを考えたりし始めました。
誰も僕にレースをやめろというようなことは一切言いませんでした。
- 神様というのはいるのではないかと思い始めたんです。
このけがの意味は何だろう、こんなけがを自分に与えてくれた神様に感謝しなきゃいけないんじゃないかと。
それと、やはりレースという道があるのだから、お前にはこれからやらなければいけないことがあるんじゃないか、と感じ始めたような気がするんです。
- 死んだドライバーはプロじゃない。最後まで生きている奴がプロだ。
- トップクラスで走れるようになるとトップクラスの選手たちと友達になれるんですよ。話が出来るんです。
いろんなテクニックの話とかね。でも、ちょっと遅いとね、とてもそういう人達のところへ入っていけないんです。
何事もやるんならトップにならないとダメだね。トップにならないと話がみえてこない。世界がみえてこない。
- 本当に攻めないと理解できないんです。僕が初めてヨーロッパで世界GPに挑戦したとき、恐怖を感じて攻められなかった。
それは要するに、分からないから攻められないのです。マシーンや自分、コース、そして競争相手の力量などを理解すると攻められるんですよ。
何でもそうだと思います。攻めないと、そのものを理解できない。
- 僕自身、ふだん乗っている乗用車でも、そのときの体調、天気状況によって、
またタイトなコーナーの多い町中なのか、高速道路を走っているのかによってドライビングポジションは違うんです。
シートの調整はボタン一つでできますから、常時調整しています。
チーム国光
宇宙飛行士
全くの異次元で、宇宙全体や神を感じた人もいるし、敬虔なクリスチャンだったオルドリン氏は精神に異常を来たしてしまった。それほど強烈な体験なのだろう。
向井千秋さん。中学生との無線交信で
「私は天女になって飛んでいるような気がします」
毛利衛さん。02年スペースシャトル「エンデバー号」
「地球全体は青く輝いていて、それは美しいものでした。
きっと人間をはじめ生き物ひとつひとつの懸命な生きざまが、地球全体を覆っているからなんですね。」
「地球を見てみると、本当に青々としている。ほとんどが水の表面で大きな水球が浮かんでいる感じです。
9月の北半球はとても雲が多くて、雲の合間から見える所はほとんどが水でした。
どこを見ても地球はすごくきれいでした。宇宙は黒と白です。
ところが地球を見ると青と白、赤茶けた所、人が住んでいるところは白っぽくて森林は少し灰色っぽい。
モンゴルとか高度の高いところにある湖は緑色からコバルトブルー。
いろんな色があってピカピカ光っていて、それはそれはきれいでした。」
「約2年前のシャトル飛行のときからロシア大陸にあるアラル海がだんだんと枯渇している様子を宇宙から観察しています。
特に興味を持っているのは、東シナ海です。中国等はその間、工業発展が進みました。
あの当時でもずいぶん揚子江とか渤海のあたりが汚れていました。香港もそうですけど。
7年前に比べるとさらにアジアの国々は経済発展していると思うので、その影響が7年前と比べてどう変化したか。
あのときに痛烈に感じた色の違い。台湾もそう、あのあたりでとくに東シナ海側の台湾の西側に向かって、台中辺りが随分汚れていました。
東側は太平洋にそのまま注いでいて海流が激しいので汚れは見えませんでした。
台湾も随分工業化が進んでいるのでどうかなと。これらがアジアの興味です。」
秋山豊寛さん。TBSの報道記者が90年ソユーズ11号で。
「これって本番ですか?」
「私は宇宙に行って森のあるところには雲があるということが良くわかりました。」
「綺麗な星だなあと思った。そして自分が属しているところが美しいと思うことがうれしかった」
ジクムント・イェーンさん。78年ソユーズ31号
「飛び立つ前から、地球がどんなに小さく壊れやすいものであるか、私にはわかっていた。
しかし、宇宙から地球を見て、そのたとえようもない美しさともろさをこの目で見たとき、地球の未来の世代のために慈しみを守ることこそ、
人類のもっとも緊急な課題であると私ははじめて痛感した」
ラウジミ−ル・シャタロフさん
「地上から見上げる空は無限に続いているように思える。私たちは無意識のうちに、空は無限の大気の海だと決め込んでいる。
ところが、宇宙船に乗って猛スピ−ドで地球から飛び立つと、10分もしないうちに大気の層など突き抜けてしまう。その先にはなにもない。大気の向こうは冷たく暗い無の世界だ。
私たちに呼吸をさせてくれて、終わりのない死の闇から守ってくれる大気、「無限」の青空は実はごく薄い皮膜にすぎない。この生命を守る紗のような皮膜を、たとえほんの一部だけでも傷つけるのが、どれほど危険なことか」
ゲオルギー・グレチコさん
「96日の昼はあんまりつらくなかったが、96日の夜はつらかった。何しろ女性がいないもので」
ウィリアム・マックールさん。スペースシャトル「コロンビア」で事故。モーニングコールに「イマジン」をリクエストして
「私たちがいる周回軌道上という眺望のよい地点からは、国境がなく、平和と美と壮麗さに満ちた地球の姿が見えます。そして私たちは人類が一つの全体となって、私たちがいま見ているように、
国境のない世界を想像(イマジン)し、平和の中でひとつになって生きるように努力することを祈ります。」
ヤングさん。1972年アポロ16号
「月はとてもいいところだ」
ジム・アーウィンさん。アポロ15号
「科学は宗教に対立するものではない。科学は神の手がいかに働いているかを少しずつ見つけだしていく過程。
だから、科学が一見宗教の教えと矛盾しているような場面でも、科学がより高次の段階にいたれば、その矛盾は解消してゆく。
科学はプロセスだ。だから、科学の側でも、宗教の側でも、お互いに敵視するのは誤りだ」
ジョン・スワイガートさん。アポロ13号
「人間のものの見方というのは、すべて経験の産物だ。小さな経験しかない人間は考え方も狭い。
小さな子供のとき、あなたの全宇宙は家の中だけだ。やがて家の外、隣の町、州、国までいけばもっと広がる。世界の広がりが世界を見る見方を広げる。我々宇宙飛行士は、地球の外から地球を見るという体験をもった。それはその人間のものの見方を変えずにはおかない体験だ」
ニール・アームストロングさん。1969年アポロ11号の船長。月面に世界で初めて降り立った。
「ヒューストン。こちら静かの基地。鷲は舞い降りた」
"Houston, Tranquillity Base here. The Eagle has landed."
「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」
"That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind."
ドン・アイズリさん。アポロ7号
「世の中に対して、自分の存在を証明してやろうなどと思わなくなり
、自分のエネルギーを外に向けるより、内に向けるようになった。
家庭、家族、自分の内的精神状態とか、そういうものを第一義的に考えるようになった」
「地上では言葉も違うし習慣も違う、考え方も飯の食べ方も違う。違いばかりが目に付くが
宇宙から地球を見ると表面的な違いはけしとんで本質が見えてくる。
地上では違うと感じても宇宙から見れば同じに見える。
対立、抗争というのは、すべて何らかの違いを前提としたもので、
同じものの間には争いは無いはずだ。同じだという認識が足りないから、争いが起きる」
ガガーリンさん。61年世界初の宇宙飛行
「地球は青く、この世のものとは思われないほどの美しさだった。」
「この目で丸い地球が見えた。地平線が丸かった。そして言葉もないくらい美しかった。
宇宙で見た太陽は地球で見るより、数十倍も明るかった。星も明るく輝いて、ひとつひとつがはっきりと見えた。」
「しかし、どこを見回しても神はいなかった。」
NASA
銀河鉄道999
松本零士さんの傑作アニメ。宮沢賢治「銀河鉄道の夜」をモチーフに、
母を機械伯爵に殺された星野鉄郎が復讐のため、謎の美女メーテルと「銀河鉄道999」で、
永遠の命、機械の身体をタダでくれるというアンドロメダ星をめざし、宇宙を旅する。
車掌、黒騎士ファウストの他、キャプテン・ハーロックやクイーン・エメラルダスも登場。
列車モデルはC62形蒸気機関車、戦士の銃は米南北戦争時代のコルトドラグーンと渋い!
主題歌「銀河鉄道999 The Galaxy Express」はTVで佐々木功が、映画でゴダイゴが担当してヒット。
- 宇宙に神様はいないよ。万物の真理と時の流れがあるだけ。
- 男なら、危険をかえりみず、
死ぬと分かっていても、戦わなくてはならない時がある。
負けると分かっていても、戦わなくてはならない時がある。
- 若者はね、負ける事は、考えないものよ。
一度や二度しくじっても、最後には勝つと信じてる。
それが本当の若者よ。
昔は、そんな若者が大勢いたわ。
- 男の子が、若者が、一生に一度は迎える旅立ちの日が来たのね。
負けることなど考えてもみない。そして、生涯忘れることの出来ない旅立ちね。
- たとえ、父と志は違っても、それを乗り越えて、若者が未来を作るのだ。
親から子へ。子からまたその子へ血は流れ、永遠に続いていく。
- 鉄郎、胸を張りなさい。私があなたを連れて行くんじゃなくて、あなたが私を連れて行く約束でしょ。
- 生きたかったら、命ある限り歩け。
- 善人もいれば極悪人もいるわ。でも、それが普通なのよ。だから生きがいもあるし、面白味もあるのに。
- 若者は未来を信じて旅を続ける.時間は決して夢を裏切らないと信じて。
- 僕の未来は自分で決めたい。他人に指図されたくない。そのために死んでも後悔はしない。
- 己の運命は誰にもわからない。自分にすらわからない。
しかし、運命に逆らって生きようとするのは人間である。
- ライバルは、相手にやつれた姿を見せたくないものよ。
- 鉄郎、女というものは一番美しい時の自分を心の支えとして、生きていくものなのよ。
- その親切な心や、やさしさが、いつかきっと鉄郎を、鉄郎自身を助ける事になると思うわ。
- 限りある命だから、人は一生という時間の中で精一杯がんばる。
短い時間の中で何かをやり遂げようとする。
だから、おたがい思いやりや、やさしさがうまれるんだって。
- 今、万感の思いを込めて汽笛が鳴る。
今、万感の思いを込めて汽車がゆく。
一つの旅が終わり、また新しい旅立ちが始まる。
さらばメーテル、さらば銀河鉄道999。
さらば少年の日よ。
- 今一度、万感の思いを込めて汽笛が鳴る。
今一度、万感の思いを込めて汽車がゆく。
さらばメーテル、さらば銀河鉄道999。
...そして、少年は大人になる。
銀河鉄道999のDVD
浮浪雲
「お姉ちゃん、あちきと遊ばない」とすれ違う女性に声をかけつつ、飄々と生きる問屋場「夢屋」の頭、浮浪雲。
江戸末期の品川宿。女物の着物を着、仕込み杖を担ぎ、煙管の煙を吐いてポカンとしているが周囲から慕われる浮浪雲に、
妻の亀女、息子新之助、娘お花、博学のご隠居、渋沢先生。番頭のとっつあん(欲次郎〉などがからむ。ジョージ秋山さん作。
- 人間だれだって寂しいんです。寂しさをなにで埋めるかが問題です。
酒や女で埋める人もいます。人を傷つけて埋める人もいます。
できるだけ素敵なもので埋めた方がいいんじゃねえでしょうか。
- 回り道したっていいんですよ。あんまり急ぐてえと、ものの本質がわからねえまま、頭がでかくなっちまうよ。
- 自分にとって良い環境や、良い状況が揃っていれば、誰だっていい人になれるんじゃねえでしょうか。
- 新さん、富士山に登ろうと決めた人だけが富士山に登ったんです。散歩のついでに登った人はいません。
- ん。いつも何考えてんです。そんな考える事ってあります?
- 何もないよ。あちきはただ楽しく暮らしてるだけでありんす。
- 女は耐えるのが上手だから、不幸になるんじゃねえでしょうか。
- 男ってのはさ、楽しくても楽しくなくても遊ぶんですよ。
- 酒を嫌いな人が酒をやめるのは簡単です。でも、酒を大好きな人が酒をやめるのは並大抵なことじゃないでしょうね。
でも、それができた時、そこに強い意志が生まれる。そういうこってす。
- 心の事は、いくら考えてもわかりません。
どんなに学問のある人でも、修行をつんだ人でも駄目です。
一生かかってもわかりません。
考えれば考えるほど、暗い人間になるだけです。
心の事は考えなくてもいいんです。
ないものを考えたって仕方がねえでしょう。
この世に心なんてないんですよ。
あるって言えばあるし...
新さん。あの青空を見て下さい。
あれが新さんの探している心ですよ。
なんにもないでしょう。
何万年、何億年、それよりずっと前から変わる事はなかったんです。
どこまで行っても触る事もできません。
空はあるようでないんです。
西の空に見えるのはなんです。
そう雲です。空じゃないですね。
新さんが考えるっていう事はあの雲なんです。
考えれば考えるほど、雲が多くなって、澄みきった青い空を隠しちゃうわけだ。
ですから、悩む事を恐れないで下さい。
どんな雲だって西の空から東の空へ消えていきます。
ただ通り過ぎるだけなんです。
そうです。人間は考える動物ですから、あとからあとから思い患いますけど、
でも、西から東へ通り過ぎるから心配は無しです。
まっ黒に曇っていても、雲の上の空はいつだって変わりなく青く澄みきっています。
渋沢先生が
- 誰だって最初はこの世にいなかったんですから。
生まれてこなかったと思えば、いま生きてるのは余分なことですよね。
- 人は一生幸福になろうと懸命に生きる。
しかし、ああ自分は幸福だなどと思える人はなかなかございません。
怒りや、悲しみや、生きる事の虚しさがふっとよぎるものでございます。
- 喜怒哀楽をはっきりした方がよろしいでしょうな。
情緒が安定いたしますからね。
よく喜び、よく怒り。よく哀しみ、よく楽しむ。
これが、万病を寄せつけない術でございます。
- たぶん、なにも考えてないでしょうねえ。
ただ海をみているだけ。
海のことを考えたりしないで、ただ海を見ているだけ。
それなんです、あの方は。分かります?
なにも考えないということは、無ですよ、無。
- いえ、そうじゃないんです。
人間はねえ、本当にひとりにならなければいけないんです。
ひとりである人というのは、依頼心のない、他に求めない人のことです。
あなたはひとりじゃありません。
ですから...いつも満たされないんです。
お嫁さんをもらっても、外へ女をこしらえてもねえ...
- いいじゃございませんか、臆病でも。
臆病じゃない人っていやですね。
平気で人を傷つけますからね。
臆病ということは裏をかえせば優しい気持ちということでございますから。
わたしもすごい臆病者なんですよ。
人を傷つけ...傷つけられるのがすごく怖かったんですよ。
ですから若い頃、禅の修業をいたしましたんです。
浮浪雲の本
星野仙一さん (1947年〜)
「命懸けでいけ」「魂をこめろ」「誠を持て」という明大島岡イズムの真の実践者。新入社員が選ぶ「理想の上司」アンケートで常に上位。
誕生前に父が死去し、母に育てられる。倉敷商高から明大に進みリーグ戦23勝、巨人入りの夢がかなわず、ドラフト1位で中日入団。巨人打倒を目指した。82年まで14年エースを務め、
74年に巨人V10を阻む20年ぶりの優勝に貢献。146勝121敗34セーブ。巨人から35勝31敗を挙げ「ジャイアンツキラー」と言われた。
NHK解説者を経て87年から中日監督、88年リーグ優勝。91年退任し96年復帰。99年リーグ優勝。
02年阪神監督となり、03年病魔と戦いながら18年振りのリーグ優勝を果たす。母の死直後で、5年前には妻も亡くしていた。
ビジョンの無い保守体質のフロントや阪神本社に、そしてマスコミにも全力であたり、チーム改革を成功させた。
中日との離別は5年努めた監督の退任後、出席した中日OB会に席が用意されなかったのがきっかけと言われる。
- 厳しさ7割、優しさ3割、これが本当の愛情なのだと思う。
- 気の抜けたプレーが嫌いなだけや。気の抜けたプレーには必ずけががついてくる。それが一番怖い。だから、試合が終わるまで怒り続けとるんや。
- 必死になって失敗したっていいじゃないか。必死の失敗は必ず取り返せる。うまくいく。失敗は、許す。
- 迷うな。おかしくっても、笑われても、ガーンと思い切って前へ出ろよ。覚悟するんだ。お前は絶対にできるんだから。思い切っていけ。
- 指示を待つな。勇気を持って、積極的に行け。
- 逃げる人間ね、それは自分でレギュラーなりチャンスなりを放棄してるというふうに僕は見えます。
もう泥まみれでガムシャラで苦しめばいいと、僕は苦しんでいるうちはチャンスをあげます。逃げる奴にはチャンスをあげません。
- 人を愛せ。人を信じよ。人を生かせ。人を褒めよ。
- 指導者に求められる資質は、自分を飾らず、隠さず、自らの思考・判断、性格など人間性や人格をさらけ出して、部下や周囲を引っ張って行ける力量。それこそが最も大事だと考えている。
- どんな優秀な人材でも、言葉一つで簡単に潰れてしまう。
- トータルの責任は100%、俺が取る。そう言ったほうが、選手の責任も強くなる。ただし、個々の責任は自分たちで取れと言ってきた。
- ときには選手を滅茶苦茶に叱ることもある。反対に、いいプレーをしたときは手放しで誉める。
- 絶対に叱ってはいけない選手もいる。頼むぞ、頼むぞ、期待しているぞというふうに誉めてあげるほうが生き生きとプレーをする。
- ベテランにはさりげなく言葉をかけるだけでいい。あとは本人が考え、結果を出すようになる。
- 同じエラーでも、誉めるものと叱るものがある。積極的な姿勢が生んだエラーは誉める必要がある。
- 監督やコーチが兄貴分のような感覚で選手と接し、甘えの構造をつくってしまっては何にもならない。
- どれだけ口を酸っぱくして「俺たちには力があるんだ」と言い続けても、現実に勝つという経験を重ねない限り、意識は簡単には変わらない。逆に、勝つという結果は、変革の最大の推進剤として働く。
- 過去のことは話し合った瞬間に忘れてやるのが人間関係。
- アメとムチ? 確かに昔はそんな計算があったかもしれん。でも、いまは感謝の気持ちと喜んでくれる選手の顔が見たいだけ。「おやじ」がそうだったようにな。
(オールスター出場者にダイヤ入りのバット型バッジ、ベストナインや初勝利者に時計を贈ったりしている)
- 夢のない世界、魅力のない世界にするな。
- 夢は見るものではない。実現させるための目標である。そのために、今何をなすべきかを冷静に考え、できる事は即座に行動する。
- 達成せんから夢。実現したら夢が夢でなくなる。だから、また新しい夢を求める。そういう生き方をしたいということやな。(ファンへの色紙に書くのは大きな文字で「夢」)
- 甲子園の監督室の窓からファンの帰る姿が見えるんや。そっとブラインドを上げるとタイガースのハッピを着た兄ちゃんたちが踊っとる。
子供を肩車してなぁ。うれしくて泣いとるおばちゃんもいた。あの表情を見たとき、この人たちのためにも、何が何でも勝たなあかんと思ったよ。
- この縦縞のユニホームで、この甲子園で、みんなの前で、胴上げされたかった。
- 夢に日付をつけることができました。(03年阪神リーグ優勝で)
星野仙一さんの本
ラビンドラナート・タゴールさん (1861〜1941年)
インドの詩人、思想家。ガンジーと共にインド独立運動の精神的支柱。
祖父はインド初の銀行を設立し商船隊も持つ大地主、父はマハリシと呼ばれる聖者、そんな10世紀以来の名家の7人兄弟の末子に生まれた。
ノーベル文学賞受賞。自然教育に力を入れ、タゴール国際大学設立。インド国歌・バングラディッシュ国歌の作詞作曲者。
小、中、英留学全て卒業できなかった。14才で母が死去。16才で詩集出版。可愛がってくれた兄嫁を慕ったが、彼女はタゴールの結婚直後に自殺。
29才の時、妻は4人の子を遺して急逝、翌年次女が病死、次いで父が亡くなり、末子もコレラで急死。そんな体験が詩人の心を研ぎ澄ませた。
来日時には日本の自然や伝統の美を称える一方で、「自己中心の文明は隣りの国民を焼きつくす武器を発明するようになる。くれぐれも『人類は戦わず』を守るべきだ」
と軍国主義の台頭に警告をした。
- 私たちはこの世界に生きている。それを愛するときに。
- すべての嬰児は神がまだ人間に絶望してはいないというメッセージをたずさえて生れて来る。
- 神は名もない野の草に、何億年もかけて、一つの花を咲かせ給う。大地一面の微笑みを咲かせるのは、天地の愛あればこそだ。
- 花はその花弁のすべてを失って、果実を見いだす。
- この世は味わい深く、大地の塵まで美しい。
- 静かに。我が心よ。これら大きな樹木たちは祈祷者なのだ。
- 愛は理解の別名なり。
- 人間の歴史は虐げられた者の勝利を忍耐づよく待っている。
- 「人々」は残酷だが。「人」は優しい。
- 物を与えることだけを慈善と心得ているのは、手に汗することを知らない人々だけである。
タゴールさんの本
南、瀬名(ロングバケーション)
結婚式で相手に逃げられた南と年下のピアニスト瀬名の同居生活。96年TV放映、北川悦吏子脚本。木村拓哉、山口智子、稲森いずみ、竹之内豊、松たか子、広末涼子と豪華キャスト。
- 南「男と女って向き合ったとたん、しんどくなるね。喧嘩して、嫉妬して、傷つけ合って」
- 南「瀬名は、人がいいね。空は青いし、海は広いし、瀬名は人がいい。」
- 南「なんかさ、暇になったら電話するって、もう二度と電話掛かって来ないような気しない?」
- 南「ひとりで幸せでいられない人は、誰かといても幸せになれないんじゃないかな」
- 瀬名「俺、いつもいつも走ることないと思うんだ...何やってもダメな時ってあるじゃん。うまくいかない時。そんな時はさ、神様がくれた休暇だと思って、無理して走らない。焦らない。頑張らない。自然に身をゆだねる。」
- 桃子「でも、好きだから喧嘩するんですよ。もっともっとわかって欲しくて。もっともっと愛して欲しくて。もっともっとわかりたくて。もっともっと近づきたくて。」
ロングバケーションのDVD
京セラ会長の稲盛和夫氏による「経営の原点12ヵ条」
経営者の皆さんには有名な言葉で、ほぼ全てを網羅しているような
- 事業の目的、意義を明確にする
公明正大で大義名分の高い目的を立てる
- 目標を明確に立てる
立てた目標は常に社員と共有する
- 強烈な願望を心に抱く
目標の達成のためには潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つこと
- 誰にも負けない努力をする
地道な仕事を一歩一歩、堅実にたゆまぬ努力を
- 売り上げを最大限に、経費を最小限に
- 値決めは経営なり
値決めはトップの仕事、お客も喜び自分も儲かるポイントは一点である
- 経営は意志で決まる
経営には岩をも穿つ強い意志が必要
- 激しい闘魂をもつ
経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい闘争心が必要
- 真の勇気を持つ
卑怯な振る舞いがあってはならない
- 常に創造的な仕事を行う
今日より明日、明日より明後日と常に改良改善を絶え間なく続ける。創意工夫を重ねる
- 思いやりの心で誠実に
- 常に明るく前向きで、夢と希望を抱いて素直な心で
目標通りに京セラを世界一にして
どんな遠い夢も、思わない限りはかなわないし、そうありたいと強く心が求めたものだけを私たちは手に入れることができる。
そのためには潜在意識にしみこむまで、思って、思って、思い続ける...夢を語ることはその行為の一つであり、実際に私たちはそうすることによって、大きすぎる夢をほぼ現実のものとしました。
65才で念願の得度をし、坊さんになったその後に
生まれた時よりも少しでも良き心、美しい心になって死んでいくこと。それ以外に、自然や宇宙が私たちに生を授けた目的はない。その大目的の前では、この世で築いた財産、名誉、地位などは、心を高めることの大切さに比せば、一切は塵芥のごとき些細なものでしかないのです。
その他にも
- 世の中に失敗というものはない。チャレンジしているうちは失敗はない。あきらめた時が失敗である。
- バカな奴は単純なことを複雑に考える。普通の奴は複雑なことを複雑に考える。賢い奴は複雑なことを単純に考える。
- 一日一日を懸命に生きれば、未来が開かれていく。将来を見通すということは、今日を努力して生きることの延長線上にしかない。
- 経営とは、人として正しい生き方を貫くことだ。
- 自分自身が考えていることの、その動機は善なりや、私心なかりしか。
- 今日の成果は、過去の努力の結果であり、未来はこれからの努力で決まる。
- 人生の結果 = 「考え方」 × 「熱意」 × 「能力」
稲盛和夫さんの本
所ジョージさん
究極のマイペース。軽く伸びやかでステキな生きかた
- 幸せですよ。不幸だと思っても、次にやることは同じだと思うんですよ。
だったら幸せだと勘違いしたままでいいじゃないかと。
朝、目が覚めただけで幸せなんだから。
不況とか言ってるけど、この国の人は満たされてるんだから、もっと満足しなきゃいけないと思いますよ。
- 満足ということでしょうね。
同じことやってもそれを満足に思えるかどうか、
そこなんですよ。
満足だと思える人が幸せな人なんだと思いますよ。
またいいこと言っちゃったよ(笑)
浜口父娘(アニマル、京子)
ピュアでホットな父親と、ピュアを受け継ぎ「尊敬する人は父」といえるステキな娘。アテネの戦いも感動的でした。
- 準決勝で負けてから、何が何でもメダルが取りたくなった。メダルの色は銅だけど、私の人生の中では金以上のものになった。
- 昨日は精一杯力を出せたので、くいは残っていません。金メダル以上のものを、経験させてもらいました。
- 自分がなんでレスリングをやっているのかを思い出すようにしました。私は本当に心からレスリングが好きなんだなあって。
- (日本に帰って何をしたいですか?) うーん、大きな海を見ながら温泉に入りたいです。
- (アニマル)人間一度きりの人生、おもいっきり生きなければ嘘だぁ〜。気合いだぁ〜。
アニマル浜口ジム
王陽明さん(1472〜1528年)
儒教の一派である「陽明学」の提唱者。中江藤樹、大塩平八郎、 佐久間象山、吉田松陰、西郷隆盛、河井継之助、三島由紀夫、政界のご意見番である安岡正篤などが信奉。
陽明学はその当時、形式主義、権威主義に陥って